仁淀ブルー通信編集部だより(238)

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(大奈路の山道でバイカオウレンを描く筆者)
 昨年の5月から、四季を通して「名野川」「日高村」「横倉山」「佐川町」と仁淀川エリアを妻と二人で歩いてきました。これまで読んでいただいてありがとうございました。みなさんもぜひ草花や美味しいものをたずねてぶらぶら散歩してみてください。野山の空気に触れると心も体も生き返るようです。またいつかお会いしましょう。

(高知の展示デザイナー 里見和彦)

仁淀ブルー通信編集部だより(237)

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 約20年前、坂本龍馬脱藩のルートを、高知城下から愛媛県内子町まで旅しました。途中、豪雨のため約20㎞はバスに乗りましたが、それ以外は徒歩で。約100㎞、4日間の旅は、坂本龍馬について歴史書や小説では得られなかった気づきを与えてくれました。たとえば、龍馬の偉業には脚力と旅力も必須だったとか。小説やテレビドラマで彼の人生はドラマチックに描かれますが、退屈で地味な移動時間も多かったのだろうな~。

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)

仁淀ブルー通信編集部だより(236)

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 明けましておめでとうございます。
 今年こそ、よい年になりますように。
 きっといつもより静かな正月を過ごしていることと思います。
 高知県出身の社会主義者で思想家の幸徳秋水(1871~1911年)は、ことのほか正月休みを愛していました。 正月はとにもかくにもめでたい、と。
 それはなぜなのか。
 社会が休止しているからだ、と秋水は書き残しています。
 「競争」「誘惑」「興奮」「金銭」「権勢」「利欲」…そういったものに私たちの平日の日々は振り回されている。それが「除夜百八の鐘声」とともに、社会が静まりかえる。借金取りですら休む、とまで書いています。つまりこれこそが平等と太平の世界であろうと秋水は感じていました。
 さて、牧野博士の正月はどんなふうだったか。博士が残した日記などをもとにした「牧野富太郎植物採集行動録」という本が出版されています。明治・大正編と昭和編の分冊になっています。それによると晩年の博士の正月はこんなふうでした。

 昭和13年1月3日(76歳)
 晴。午前九時頃放送局より迎ひの自動車来たり同局に赴き、午前十時より三十分間松竹梅の放送をなし、又同局の自動車ニ送られて帰宅す。
 昭和17年1月3日(81歳)
 晴。土佐より秋沢明氏来訪。土産物を贈らる。
 昭和32年1月1日(94歳)
 牛乳の氷片一口を口に入れる。

 そして昭和32年1月18日午前3時43分、牧野富太郎は94歳の生涯を終えました。「牧野富太郎が見た風景」の最終回となる5回目は、妻の死や経済破綻を乗り越えた博士晩年の充実した姿を書こうと思っています。

(高知新聞社学芸部・竹内 一)

仁淀ブルー通信編集部だより(235)

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 会場に飲食ブースを出店していた「越知ぜよ!熱中塾」(私が教頭先生をしている)が販売していた「青」のホットサンド、「これは今まで食べたことがない味だぞ」と私の胃袋がつぶやくうまさでした。ローストチキンに越知町産の山椒とガラムマサラでパンチをきかせ、マヨネーズと青じそ、タマネギを挟んでホットサンドにしたもので、熱中塾の生徒が仕込んだコンソメスープ付き。このほかにサルサ風の「赤」、ゆずタルタルの「黄」バージョンもあって全部試してみたかったのですが、「売り切れゴメン!」で果たせませんでした。来年もぜひ出店を希望します(笑い)。

(食いしん坊の仁淀ブルー通信編集長 黒笹慈幾)

仁淀ブルー通信編集部だより(234)

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 今回のリバーサイドキッチンの様子です。とても素敵な場所でした。
 この日の取材は、編集長に所用が入ってしまったため、私だけでの取材となりました。写真の構図を考えたり調理器具の準備をしたりと、一人で現場を仕切ることが面白くもあり、大変でもあった取材でした。長野県出身の私ですが、取材を通して毎回高知の魅力を発見しつつ、リバーサイドキッチンの3回目の記事をお届けすることができました。
 今回の取材は編集長の「そろそろ一人でできるでしょ?」というメッセージだと受け止めて、今後も楽しく役立つ記事をみなさまにお届けできるよう頑張ります!

(仁淀ブルー通信編集部 高知大学地域協働学部4年 仲田和生)

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