仁淀ブルー通信編集部だより(247)

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 今回、初めて仁淀川町椿山に足を入れることができました。いざ現地に到着すると、普段の生活では体験できない四方から迫り来る山々や自然の音、深い歴史を感じる集落に圧倒されました。至る所に残された木造の古民家や唐箕などの農具、集落中に広がる手積みの石垣や舗装されていない不安定な道や階段など昔の人々の生活が垣間見える様々な光景にいくつか前の時代にタイムスリップしたのではないかと錯覚してしまいました。(笑い)
 また、椿山唯一の住人の中内さんのお話の中で時代の流れと共にこの集落では様々な文化や伝統が失われてきたということを知りました。私たちが日々の生活で利便性や効率化を追求し、便利な生活を手に入れている反面、大事なモノを失った人たちもどこかにいるのではないかと、ふと感じました。

(高知大学地域協働学部2年・藥師寺康平)

仁淀ブルー通信編集部だより(246)

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 「山茶小屋」の生みの親は意外な人物でした。旧池川学園の校舎と施設が仁淀川町の移住交流拠点施設となるきっかけは、一般社団法人山茶小屋の初代代表理事の女性が、ある方の講演会に参加したのが始まりだったそうです。自然豊かで、美味しいものがたくさんあって、底抜けに楽天的な人々が暮らす高知、その地で毎日釣りがしたくて定年移住をした人。その方が満開の笑顔で語った「幸せ探しの旅の終着駅は高知」というお話。地元住民のその女性と現在の代表理事の橋本光子さんはその話を聞き、地域で移住者と在住者が末永く一緒に暮らしていくために、両者が互いに交流できる拠点が必要だと気づき、開設を思い立ったのだといいます。仁淀ブルー通信編集長の黒笹慈幾さん、本人が知らないところで「山茶小屋」の生みの親にされていますよ(笑い)。

(鮎屋仁淀川女将・西脇亜紀)

仁淀ブルー通信編集部だより(245)

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 高知県佐川町にある「牧野公園」は、とてもすてきな場所です。それほど広いわけでもないし、植物園のように多種多様な花々が見られるフラワーガーデンでもありません。地元の植物を愛する人たちが、故郷の偉人である牧野博士にゆかりのある植物や、日本古来の草花たちを大切に育てています。だからあまり「派手な」植物はありません。地味です。地味ですが、バイカオウレンやオオミスミソウのように、小さく可憐な花を見つけて愛でる喜びがあります。外来の植物も美しいものですが、日本列島の本来の植物相はこんなふうだったのだろう、と「牧野公園」は気付かせてくれる場所です。
 「牧野富太郎が見た風景」はいかがだったでしょうか。5回の連載とはいえ、やはり駆け足の紹介になりました。もっと牧野博士の人生を知りたい方は拙著「MAKINO」(北隆舘)をお読みください。という宣伝をして終わります(笑)

(高知新聞社学芸部・竹内 一)

仁淀ブルー通信編集部だより(244)

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 ワイルドフラワー(野の花)が美しく咲くのは、その環境に適しているからで、頑張って美しい花を咲かすわけではない。今回の取材で松岡さんにインタビューしながら、昔、中米コスタリカのジャングルで聞いた先住民の言葉を思い出しました。自然というのは、なにかと示唆に富んでいますね。

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)

仁淀ブルー通信編集部だより(243)

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 越知熱中の教頭として常に頭を悩ませているのが授業料なしのボランティアで全国各地から駆けつけてくれる先生たちの授業後の接待(笑い)。高知訪問をいい印象で締めくくり、ほかの熱中塾で授業する際に高知の素晴らしさをアピールする応援団のひとりになってもらいたいからです。今回、工藤英良先生には課外授業の形で卒業生の営む2カ所の農園に案内をして喜んでいただきました。 
 で、もうひとりの先生、藤田修平さんには熱中越知は何を用意したのか…。その答えが上の写真。釣り好きで知られる藤田さんには、高知滞在をむりやり(笑い)一日延長してもらい、私の海釣りのホームグラウンド宿毛湾でタイラバを楽しんでもらいました。授業や撮影の時の真剣な表情から一転、少年のような笑顔が眩しい藤田さん、「これからは高知に来る口実をいろいろ考えてみるよ」とうれしい言葉を残して東京に帰って行きました。

(越知ぜよ!熱中塾釣りバカ教頭・黒笹慈幾)

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