2020.05.22<仁淀川ボタニカルスケッチ散歩>第1回 山笑う初夏の名野川の巻
こんにちは。高知市の展示デザイナー、里見和彦です。県立牧野植物園を定年退職して3年が経ちます。この春、編集長の黒笹さんから声をかけていただき、仁淀川エリアを歩きながら植物や風景のスケッチを描くことになりました。これから季節を追って妻と二人、気の向くままに山下清さんの気分で手描きの自然をお届けしていきます。
第1回目は仁淀川を一気に上流へとさかのぼり、愛媛との県境に近い仁淀川町名野川から。ここは植物学者牧野富太郎さんが若いころ何度も植物採集に来た山深い土地で、僕の両親の故郷でもあり、子どもの頃からよく遊びに行った思い出の場所だ。
新型コロナウィルスの影響による高知の飲食店などへの休業要請が解けたばかりの5月11日、少し心配だったけど、「誰にも会わずにスッと帰ってこよう」と、妻の運転で国道33号線を西へ向かった。この日は市内の気温が28度を超える夏のような陽気で、雲ひとつない快晴。1時間半ほど車を走らせ、支流中津川が仁淀川に合流する場所から県道363号に入り、少し登ると中津渓谷の入り口に着いた。去年の連休に来た時は大渋滞だった細い道に、今年は1台も駐車していない。さらに少し登ると道路拡幅工事の交通規制があり、20分くらいその場にステイすることになったので、開通時刻まで道路脇に車を置いて、渓谷にかかる昇雲橋から中津明神山(なかつみょうじんさん)方面をのんびりスケッチした。
今年の春は自粛のためどこにも出かけられなかったので、色とりどりの山の緑がことのほか目にしみる。「山笑う」は春の季語だけど、渓谷をわたる初夏の風に乗っかって中津明神の笑い声が聞こえてくるよう。牧野植物園にいるとき僕は牧野博士の影響で、いくつも都々逸(どどいつ)を作ったんだけど、そのなかのひとつをご披露。
「淡いみどりとクリーム色と、深いみどりで山笑う」(よさこい節のメロディーで歌ってください)
急峻な渓谷沿いの巨大な岩を削って作られた県道の日陰に、岩清水が絶えず流れ落ちている場所がある。50年ほど前の暑い夏の昼下がり、母とここで冷たい水を飲んだ記憶がよみがえってきた。陽のあたらない湿った道路脇にキツネノボタンがたくさん生えていて、つややかに光る小さな花を咲かせていた。
両親の郷里はこの道を車で5分ほど登った下名野川(しもなのかわ)にある。母の従兄弟が廃校になった下名野川小学校を利用して「しもなの郷」という民宿を運営しているけど、緊急事態宣言を受けて休業中だったので、僕たちは一気に標高790mの吾川スカイパークまで車を走らせ、ここで昼食をとった。
妻はボタニカルよりも食い気がちょっと勝っているので、越知町の「スノーピークかわの駅おち」で買うお弁当をねらっていたんだけど、時期が時期なので売ってなかった。
そこの宮の前公園を見晴らすデッキで、テイクアウトのお弁当をひろげて女子会(?)をしていた60代後半のマスク姿のご婦人たちを見つけ、さっそくリサーチ。「まいどおおきに市場キリン」まで少し戻って買うことにした。
ズラリ並んだお弁当コーナーで妻は「チキンカツ弁当」と「おかずおにぎりセット」を前に約10分ほど迷った末、おにぎりセットを選ぶ(決め手は唐揚げとコロッケだったそうだ)。それに「ブロッコリーサラダ」を追加。
僕は鯖のバッテラ寿司に目を奪われたんだけど「いや待てよ、これはボタニカル的ではないなぁ」と思い直し、季節の山の幸「タケノコごはん」にした。
いつもこの時期にはたくさんのパラグライダーが飛び交う雄大な草原に、ただ二人あずまやのテーブルで野鳥の声と風の音を聞きながら、すごく美味しいお弁当をいただいた。ああ、やっぱり鯖寿司やめてよかった。
ヤマトグサ発見の地「上名野川大山祇神社」
吾川スカイパークの道を隔てた向かいに、ヒノキやアカガシの大木に覆われた「大山祇(おおやまづみ)神社」がある。22歳の牧野富太郎さんがここで見つけた植物を5年後の明治22(1889)年、植物学者の大久保三郎さんとともに「ヤマトグサ」と名づけ日本からはじめてその学名を世界に発表した。なのでここは日本の近代植物学発祥の記念の地とも言える場所なのだ。
「ボタニカル」とは本来「植物学の」と言う意味なので「ボタニカルスケッチ散歩」をはじめるのにふさわしい場所と思い、牧野さんに敬意を評して神社のスケッチをする。
昼なお暗いうっそうとした境内で、止まったような時間の中、石の鳥居に張られた結界の紙垂だけが静かに揺れていた。
20年くらい前、結婚前の妻とここに来た時、樹齢600年といわれるトチノキが神社の入り口の沢を覆うように生えていて、僕たちは持参したポータブルプレーヤーで荒井由実やビートルズのレコードをかけたんだけど、なんだかトチノキが耳をすませて聴いているみたいだった。数年前にその木は切られたみたいだけど、その実生が育って細い幹から枝を伸ばし、葉を広げて風に揺られていた。音を立てて豊かに流れる沢の土手には、コンロンソウが僕の視野を埋めつくすほど生えていて、無数の小さな白い花を咲かせている。コンロンソウの名は中国の伝説の山「崑崙山」に降る雪に見立ててつけられたといわれている。まさに見事な初夏の雪景色だった。
沢にかかる小さな橋のたもとに地上7cmくらいのオオギカズラがひっそりと咲いていた。暗い森の中、そこだけに日差しがこぼれ、浮かび上がった薄紫の小さな花を見て「もうひとつの仁淀ブルー」という言葉が浮かんできた。
交通規制の通行時間に合わせるため、山を下り母の実家をめざして下名野川へ引き返す。
この家は標高350mくらいの集落にあって、子どもの頃から夏休みに家族で泊まったり、アメゴ釣りやお茶摘み、親戚の宴会などで何度も訪れたことがある。
この日はちょうど従兄弟の中西正也くんが高知市から来ていて、家の手入れをしていた。彼は趣味が広く、釣りやランの栽培、いまはニホンミツバチの養蜂に興味を持っているとのこと。僕らが行った時には庭に遊びに来る巣立ったばかりのヤマガラが、木立にかわいらしい姿をちらちら見せていた。僕は庭の地面にしゃがんで、かつて藁葺き屋根だった思い出深い家をスケッチする。中津明神山を背景に、右手に土蔵や釜屋(コウゾやミツマタの皮を茹でる大釜のある作業小屋)があり、僕が子どもの頃には家の左側に養蚕の小屋があって、一日中蚕が桑を食べる音が雨音のように聞こえていた。
帰り道、おつけものの店”越知物産”で「しば漬け」と「大根の昆布漬け」をお土産に買い、その晩は仁淀川町出身の酒場詩人、吉田類さんにちなんでホッピーの焼酎割りで山の味を楽しんだのだった。
(高知の展示デザイナー 里見和彦)
★次回の配信は6月5日予定。
「川でいざというとき役に立つ、リバーサインとは」をお届けします。
お楽しみに!
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