2019.01.11仁淀川流域最奥の集落へ、椿山探訪記
たくさんの山里を有する高知県でも、「最奥の集落」と呼ばれているのが仁淀川町の椿山(つばやま)です。昨年の暮れ、1000年近く続いてきた秘境の暮らしの一端を求め、探訪してきました。
椿山へは、かつて宿場町としてにぎわった池川から車で約30分。
深い谷沿いの道の先、標高600mに位置するこの秘境の集落は、平家の落人が住み着いたという伝説に彩られ、昭和50年ぐらいまでは焼き畑農業が行われていました。
まずは椿山交流センターから下り、一番下にある(と思われる)家へ。そこから集落を登っていきました。
見えてきたのは、椿山で最も重要な史跡といわれる氏仏堂(うじぼとけどう)。椿山では貴重な「平らな」広場がここにあり、伝統行事「椿山の太鼓踊り」の舞台になっています。
伝承では、安徳帝と共に落ち延びてきた平家残党が椿山集落を築いたらしい。年5回(6月、8月3日・4日・14日、9月)奉納される椿山の太鼓踊りは、平家ゆかりの霊を慰めるためのもの。約50年前には150人、現在は「在住者は1人だけではないか? 」といわれる椿山集落ですが、太鼓踊りのときには出身者が戻って祭事を行うそうです。
また、普段は麓の町や高知市内で暮らしているけれど、週末など休みの日には椿山に戻ってきて家や庭の手入れをする住人も何人かいるらしい。たしかに、超過疎の限界集落だけど、廃村のイメージとは程遠く、私は驚きました。
それにしても急傾斜の集落です。この日の気温は6℃でしたが、最高所の家まで登ると額から汗が流れました。地図で確認するとそこは標高650m。椿山で一番下にある家からの標高差はなんと約150m!ちょっとした山登りです。
集落の道を登りながら気づいたのは、アキレス腱をキリキリと伸ばすこの傾斜が、もともとの椿山の地形なのだということ。暮らしに必要な平地は、山肌を削り、石垣を積んで造ってある。人の筋力だけで石を運び、積むには、どれだけの時間と忍耐が必要だったのだろう。そして、こんな急峻な地形を、なぜ1000年近く安住の地にしていたのだろう。
個人的なことですが、長い歴史があるものに魅かれます。そこには真実のかけらみたいなものがあると思うのです。椿山で見つけた「かけら」は、人は何をもって生きる場所を決めるのか。それは豊かな実りだったり、仕事の有無だったり、便利さだったりするのでしょう。でも椿山集落では、今も昔も、そのどれもが「溢れるほど豊か」というわけではないようです。
私の印象に残ったのは、椿山集落の対岸にある、山水画のような、神々しさを感じさせる岩壁と滝(五色の滝)。この景観から受ける何か素敵な感じが、平家の末裔たちを留めたのではないか。
もちろんそれがすべてではないけど、あながち間違ってないような気もします。昔の誰か偉い人が言ったように、「人はパンのみにて生きるにあらず」なのです。
★椿山集落を散策するときは、くれぐれも個人宅や農地への立ち入りはご遠慮ください。また、持ち込んだゴミの持ち帰りもお願いします。
◆仁淀川町観光協会
(仁淀ブルー通信編集部員/大村嘉正)
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