2019.01.18<清冽な仁淀川を生み出す源の森たち>5 天狗の森

<清冽な仁淀川を生み出す源の森たち>5 天狗の森

 高知県津野町と愛媛県久万高原町の県境に位置し、風光明媚で360度の天空景色を楽しむことができる四国きっての観光名所「天狗高原」。
 夏の青々とした広大な草原、秋のススキ原と紅葉、そして冬の雪景色と四季折々に姿を変え、観る者を飽きさせない。その天狗高原の西方にそびえる山はその名も「天狗ノ森」。今回は冬のさなかの12月に、冬の景色を求めて分け入ってみた。


article170_01.jpg登山口から見る北の夜空。冴え冴えとした冬の夜空に星々が煌めいていた。

 天狗ノ森は所謂「分水嶺」。1,485mのピークに降った雨は、北に流れ落ちると仁淀川、南に流れ下ると四万十川となる。どちらも日本を代表する名河川だ。なんとも羨ましい山である。登山口は、標高1,350mの県境稜線に建つ宿泊施設、「天狗荘」の駐車場東詰めにある。
 車道に降り積もった雪に神経を使いながら車を走らせること約2時間半、夜明け前の午前5時、駐車場に到着した。雪を踏みしめて車から降り立つ。まだ暗い空を見上げると満点の星空が広がっていた。北の方角を見ると、霧氷に覆われたブナ林の上で北極星と北斗七星が煌煌と輝いている。鼻から息を吸い込むと、鼻腔がキンと引き締まる。まだ夜明け前だが頂上で日の出を迎えたい。簡易アイゼンをトレッキングシューズに装着し、防寒グローブに手を通した。装備が整ったところでそろそろ出発することにしよう。

article170_02.jpg明けゆく東の空に金星が輝く。

 木の桟で土留めされた階段状の道を登り始めると、間もなく東の空に朱色のラインが見え始めた。美しくそして壮大な夜明けの風景。夜から朝に切り替わるこの瞬間は何度見ても美しい。目まぐるしく移り変わる時空の中で、心が穏やかに鎮まってゆく。いつまでも眺めていたいが先はまだ長い。歩き出しながら見上げた登山道の彼方の稜線は、北からの強風と共に峰を越えてゆくガスに覆われていた。天気予報では寒気は朝には抜けるとの事だったので、頂上に着く頃には辺りを見晴らす事ができるだろう。

article170_03.jpg吹き荒ぶ北風とガスが木々を震わせる。
article170_04.jpgブナの梢に着いた霧氷。

 南側を登る登山道を暫し歩いて稜線に出た途端、強烈な北風とガスに見舞われた。目を開けていることも儘ならないほどの強風が、ブナの木々を揺らして吹き荒んでいる。三脚を据えてカメラをセットする。グローブを外し操作を始めると、10秒くらいで指先がかじかんできた。寒いというよりはむしろ痛い。が、厳しくも美しいこの空間に夢中になって、暫くの間撮影をした。
 このブナ林を抜けるとすぐに360度見渡すことができる岩場に着く。ここで日の出を待つことにしよう。

article170_05.jpgガスに覆われた稜線。日の出は裾野からやって来る。

 岩場にて待つこと30分。幾分風は治まってきたようだが相変わらずガスに覆われたままだ。時折ガスの切れ間に空が覗くが、スカッとは晴れない。
 しばらくするとなにやら南斜面の裾野が桃色に滲み始めた。あの桃色のラインより下は晴れているようだ。「晴れてくれ~!」と宇宙に座す偉大な存在にお願いをしてみたが、どうやら聞き入れてくれる様子はないようだ。まあ、ものは考えよう。「これはこれでオール晴天よりは趣があっていいなあ」と思えてきたので、空に向かって「素敵な巡り合わせをありがとう!」と感謝をしてみた。
 天狗の森の頂上まではあと1km弱。霧氷と雪の森を存分に楽しむことにしよう。

article170_06.jpgルート上に発達した巨大な雪庇が行く手を阻む。

article170_07.jpgある冬の夜の出来事。ウサギとテンの追いかけごっこ。

 雪をかき分けて暫く進むと行く手に大きな雪庇が現れてきた。高さはどれくらいだろう、優に腰の高さは越えそうだ。このサイズの雪庇ができるということは、昨日の晩はかなり吹雪いたのだろう。ラッセルしながら進んでいく。
 霧氷に覆われた樹林帯を眺めながら軽快に歩いていると、雪の上に何かの動物の足跡が付いていた。一種類だけではないようだ。よく見るとどうやらノウサギとテンの足跡。ノウサギが進んだ後を追いかけるようにテンの足跡が続いている。テンは一晩中追跡を楽しんだのだろうか。想像しているとなんだか愉快になってきた。

article170_08.jpg四万十川最源流の不入山(いらずやま)の向こうに黄金色の太平洋が輝く。

 時折ガスも上がり、あたりの景色が遠望できるようになってきた。ガスの切れ間の遥か彼方には、太平洋が黄金色にキラキラと輝いているのが見える。こんな四国山地のど真ん中で太平洋が見えるって・・・。やっぱり凄い事なんだろう。
 美しい霧氷を身に纏った広葉樹林を十分に満喫しながら歩いて行くが、頂上手前で道は二つに別れている。そのまま真っ直ぐ登ると天狗ノ森頂上で、右にトラバース(横切るという登山用語)する道を行くと、天狗ノ森の西にある黒滝山(くろたきやま)へと続いている。途中には代表的なカルストの風景があるので少し寄り道をしてみる。てきた。

article170_09.jpg霧氷を身に纏った木々。この上もなく美しい。
article170_10.jpg凍りついた木々。咲き誇る花のよう。

article170_11.jpg頂上直下の南斜面の風景。石灰岩の露出が続いている。

 横道に入るとすぐに石灰岩の露出する斜面が目に入ってくる。周辺には視界を遮る大きな樹木はなく、ただただカルストの大地が広がっている。中でも目を引くのは、天を目指して聳える巨大な石灰岩の塊だ。すごい迫力と圧倒的なオーラを放っている。風雨に浸食された岩肌が、過ぎ去った年月を物語っている。
 暫く色々と想像した後、引き返して頂上に向かった。ピークにはこれといって特徴的なものはないので、とりあえず三角点を確認してもと来た方に下山する。
 お昼前になるといくぶん気温も上がってきて、雪の表面も緩んできたようだ。こうなってきたらある現象に期待したい。緩んだ雪の斜面に目をやりながら下ってゆくと・・・あった。「スノー・ローズ」だ。その姿が薔薇のようなのでそう呼んでいる。なんとも神秘的な造作物だが、からくりはこうである。
 まずは夜中に雪がドカドカと降り、夜が明けて晴天の太陽光で暖められた雪が緩んでくる。水分が多くなると重くなるので、梢に積もった雪がドサッと落ちる。落下した先がちょうどの傾斜の斜面だとその雪を巻き込みながらコロコロと転がり落ちて、平面までくると自分の重みでパタッと倒れる。その姿を見てみると、まるで薔薇の花そっくり。気温、湿度、天気などの条件が揃わないと出来ないので滅多にお目にかかることは出来ない。神様の気まぐれで創られた芸術品のひとつだろう。今日はなんだかご利益がありそうな気がしてきた。

article170_12.jpgスノー・ローズ。雪原に出現した神様からのプレゼント。

 駐車場まで降り着くと青空が広がっていた。北を見晴るかすと、仁淀川の源である石鎚連峰の山並みが、青々とした輝きを放ちながら神々しく連なっている。
 天狗ノ森は標高こそ高くはないが、いろんな森の姿を見ることができる数少ない場所だ。春から秋までは稀有な高山植物が咲き誇り、冬には木々に霧氷の花を咲かせる、表情豊かな森である。そしてその眺望の良さは筆舌に尽くし難い。日本を代表する名河川の分水嶺である事を差し引いてたとしても、やはり四国を代表する名山ではないかと思うのだ。

article170_13.jpg神々しく輝く冠雪の石鎚連峰。

過去に開催の主要写真展<京都写真美術館・前田博史アーカイブス>

(天然写真家/前田博史)
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