2016.12.02仁淀川の生物多様性は高いのか低いのか?

仁淀川の生物多様性は高いのか低いのか?

とれる魚の種類が多ければ多いほど、自然度の高い川・・・そう思う人は、どれくらいいらっしゃいますか? いきなり聞いておいてナンですが、これ、じつはなかなか答えの難しい質問です。

自然や環境に関心のある方なら「生物多様性」という言葉を聞いたことがあると思います。生物多様性とは、多種多様な生きものが、その地域における長い歴史のなかで、互いに関係性を持ったり、折り合いをつけながら共存している状態を指します。この議論に必ず課題としてくっついてくるのが外来種です。
外来種が不安視される理由は、新たに入った場所がしばしば繁殖の好適地になり、それまで安定していた生きものどうしの均衡を極端に変えたり、人間の生産活動や健康・安全に支障をおよぼすためです。
影響はしばしば変動し、問題として表面化しないこともあります。ウイルス病にたとえると発症していない状態ですが、キャリア患者と同じで、いつどのような形で問題が顕在化するかは誰にも予測がつきません。警戒を続けることは予防原則の基本といえます。


とはいえ、すでに日本には2000種を軽く超える外来種が定着しており、すべてを排除することはマンパワー的にも費用的にも不可能です。こうした現実もあってか、最近は「外来種がいたって別によいのでは・・・」「効果の見えにくい駆除活動を続けることは税金のムダ」という意見もちらほら聞かれます。
たとえばアメリカザリガニやセイタカアワダチソウ。
汚れた水でも生きることができる〝アメザリ″は、都市近郊の子供たちがかろうじて触れられる自然の命であるとか、セイタカアワダチソウの蜜や花粉は、ミツバチなどハナバチ類の繁殖を助けているので、一方的に目の敵にするのはいかがなものか、というものです。
外来種が持つこうした半面的事例を世界中から集め、排除一辺倒の外来種対策を改めよと主張する本も出てきました。科学ジャーナリストのフレッド・ピアスが書いた『外来種は本当に悪者か?』(草思社)です。

article_05902.jpg『外来種は本当に悪者か?』フレッド・ピアス著(草思社)

この本では、外来種が関与することでかえって自然の賑わいが増している、絶滅の危機にある在来種の生息が支えられているという例が、これでもかというほど示されています。国を挙げての駆除が大失敗した例や、駆除施策をめぐるグレーな金の流れ、数字や論文のウソ、自然保護を掲げる組織が、外来種の定着に加担した過去なども丹念に掘り起こしています。
いずれの事例も、今現在の現象や結果としては事実なのでしょう。
それらを踏まえ著者は、これだけ外来種が入り組んだ状況になっている以上、時計の針を戻すような政策はやめて(つまり生物多様性の保全など)、自然がなりたいようにまかせればいい、自然はそんなに脆弱ではなく、溶け込んだ外来種はやがて在来種になり生物多様性を高めるという「ニューワイルド論」なるものを展開します。


という刺激的な内容なので、この本はあちこちで物議を醸しているようです。
近年の外来種排除の社会的ムードが面白くない、あるいは外来種も在来種も命の価値は同じと考えている人たちには、待望の書という感じかもしれません。一方、保全の研究や活動を地道にしてきた人たちからは、努力に冷や水を浴びせるトンデモ本として忌み嫌われています。
つとめて冷静に読んだつもりですが、私個人の抱いた感想は、やはり後者です。まず問題は、外来生物がその地域の生物多様性に与えている深刻な現実を意図的に避け、反論できそうな事例だけで持説を構築していること。
多くの人たちの苦労で合意にたどりついた生物多様性の理念に対する敬意がなく、筆致が終始冷笑的で挑発的な姿勢であることもひっかかります。表現文化の違いかもしれませんが、ジャーナリズムとしてはいささか品格に欠けているように思います。論理の展開に無理が多々見られるのは、科学読み物としては致命的です。
最大の違和感は、生き物の種類の多さが生物多様性の指標であり、欠落が生じても外来種が埋めてくれるので問題はないとするかのような論。ジグソーパズルにたとえと、なんとなく似たピースで隙間が埋まればよく、結果的に図柄が変わっても、それはそれでいいじゃないかという感じです。
地域のオリジナルに近い自然を維持することが生物多様性を守る基本原則だということを否定しているのだから、そもそも感覚が噛み合いません。すぐれた環境ジャーナリストではあるのでしょうが、愛おしいと思う自然を持っていない人なのだろうなと感じました。

ひるがえって、日本、そして仁淀川流域です。田畑も道路畑も河原も、見回せば外来種だらけ。
問題は人が攪乱した場所でしか増えることのできない、ある意味どうでもいい外来種ではなく、川や湖、自然林など、このままの姿で残ってほしい誰もが願っている環境の中までぐいぐい侵入し、生きもののバランスを大きく変えてしまう有害性の高い外来種です。
たとえば、ミシシッピーアカミミガメやブラックバス、ブルーギルの猛威的繁殖状況を見ると、とても〝在来種″として溶け込み、地域の生物多様性を高めてくれるとは思えません。
仁淀川で在来種と思われているオイカワも、じつは国内外来種です。名物川漁師として知られた故・宮崎弥太郎さんによると、以前は改良バヤとかショウハチと呼ばれていたそうです。

article_05903.jpg在来種と思われがちだが仁淀川では外来種の「オイカワ」
article_05904.jpgこちらは正真正銘、
仁淀川の在来種「アユカケ」。

それまで地元でハヤと呼ばれていたのはカワムツですが、カワムツ似の新しい魚だということで改良バヤと名付けられたとか。ショウハチは、昭和8年に個人が伊勢の川から仁淀川に持ち込んだことにちなむそうです。
戦後、琵琶湖産の稚アユを放流するようになってから「見たことのない魚が増えた」と、宮崎さんはおっしゃっていました。
現在の仁淀川の正式な魚種数は把握していませんが、かつての数より多いことは確かでしょう。しかし、この状況を仁淀川の生物多様性が高まったとは言いたくないし、言うべきではないとワタシは考えます。
多くの外来種は本能に従って懸命に生きているだけですが、やはり人間が有害性や危険性から優先順位をつけ、駆除や管理策を粛々と進めていくしかないと思います。
かなり長々となってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。

(仁淀川資源研究所所長 かくまつとむ)
●今回の編集後記はこちら 

※トップの写真は仁淀川の支流、柳瀬川の風景。水質では劣るが仁淀川にはない下流域の生態系に似ており、ある意味での「生物多様性」は高いといえるだろう。(編集部)