2016.06.17見かけの自然に騙されぬように! ほんとうにいい川の条件
『仁淀川資源調査研究所』から(2)
川の豊かさを測る指標にはさまざまなものがあります。「魚のボリューム」もそのひとつでしょう。
アユがたくさん釣れる。大きなアマゴが釣れる。あるいは、今でもウナギ漁やモクズガニ漁が行なわれている。豊かな川でなければ体験できないことであり、見ることのできない光景です。 釣果や水揚げは、水域の自然度に規定されます。しかし、見かけの自然と実体の自然は違うので、都会の釣り人のウケがよいからといって、地方の人は無邪気に喜んではいけません。
私がよく行く中部地方の川は、アユの名川として知られています。水の透明度が高く、釣れたアユはとても美味しい。昔から釣り人に人気のある川です。 ですが、いつもひとつだけがっかりすることがあります。アユやアマゴのような漁業権魚種については釣り人を満足させるほどいるのに、ヨシノボリやカジカ、ドジョウ、アカザのような小魚をほとんど見ないのです。地元のお年寄りに聞くと、昔はいたるところにいたといいます。うじゃうじゃといることから「雑魚」とひとからげにされてきた、その他大勢の魚たちを見かけないというのはどういうことでしょう。
私はダムによる水系の断絶が原因だと思っています。ダムや堰に設置された魚道は、アユやアマゴなど主要な漁業権魚種の習性と身体能力に合わせて設計されており、吸盤で底石に貼りついて登るハゼの仲間のような、遊泳力の弱い生き物のことはあまり想定していません。
大水で下流に流されると、そうした生き物は容易に戻ってくることができなくなります。何度も繰り返された結果、生物相は薄く、個体も少なくなり、毎年放流で補充されるアユ、アマゴだけになっていったと想像されます。つまり生物多様性の脆弱化です。これが何を示しているのか。真っ先に想像力を働かせなければならないのは、水産資源の占有的な利用権と保護義務を持つ漁協であり、川の番人を自負している釣り人であり、地域の自然を資源化することで交流人口を増やしたいと考えている行政ではないでしょうか。
放流で維持されている魚にばかり目をとられると、その川のほんとうの自然度、あるいはポテンシャルが見えにくくなります。自分に対する戒めも込め、私は川に行ったときは、アユやアマゴだけでなく、いろいろな生き物と遊ぶことにしています。今ではもう、釣りという技術にさえもこだわっていません。子供の時の遊びがそうだったように、多種多様な生き物と遊び、その川の自然を広角レンズ的に見るよう心がけています。
(仁淀川資源研究所所長 かくまつとむ)
●今回の編集後記はこちら