2015.11.18その人生ハンパなし。高知アイスの社長は、とんでもない川人間だった!
高知県を代表する成長企業で、もっか世界進出中の会社が仁淀ブルーの流れのそばにあった!有限会社高知アイス。仁淀川の眺めが素晴らしいアンテナショップ&カフェの「高知アイス売店」も大人気です。創業者で社長の浜町文也さんに仁淀ブルーとの「縁」について話を伺いました。
かいつまんで言うと、浜町文也さんはカツオ漁師の町・高知県黒潮町佐賀で生まれ、中学卒業後に6年間土佐の一本釣漁師になり、結婚を機に高知市でサラリーマンに転職して全国の百貨店の物産展などで高知のアイスクリンを販売、その後独立しました。1995年に南国市に最初の自社工場を建設、社名を高知アイスに――というところで、その節目の話がとにかく豪快で愉快です。
「そこにとてもきれいな桃畑があって、桃がたわわに実っていたんです。僕はそれを、えー、一つ盗み食いしまして(笑)、その美味しさが衝撃的で」
そしてその桃農家・松岡徹さんを訪ねて浜町さんが言ったことが最高です。
「松岡さんの桃でシャーベットを作って売りたい。作る技術はあります、しかしお金がない。よければ桃畑の片隅に、僕のために工場を建ててくれませんか?月10万円の家賃は払います」
そして松岡さんの返事は「おっしゃ建てちゃらあ」。さすが、いごっそう(快男児)の高知県。
その後、業務が拡大するにつれ新工場が必要になってきた頃、「いの町合併前の吾北村役場の人が『この柚子使えんろうか』と柚子果汁を2升も持ってきた」と浜町さん。
「柚子を使う話がまとまり、役場の人が『ほかにいるものはないか?』と言ってきたんで、工場用地を探していると答えたところ、今の場所を良い条件で借りることができたんです」
というわけで高知アイスは仁淀ブルーのそばにやって来たのですが、その不思議な偶然の縁は浜町さんだからこそ、という気がします。というのも彼はかなりの川人間なのです。
「小学校4年ぐらいから、川の恩恵で生かされてきた」。出身地に流れる伊尾木(いおき)川で、少年浜町さんは大いに稼いだといいます。
「学校から帰りしなにミカン畑でミミズを掘って、それウナギ籠に入れて川に仕掛けた。そして翌日の朝5時から川に入って籠を引き上げてウナギを収穫し、学校が始まる8時までに自分でさばき、100g200円で近所に売ってました。冬はウナギの稚魚を獲って売った。なので中学卒業まで小遣いをほぼもらってない。ジーパンもジージャンもウナギで稼いだ金で買ってました」
大人になっても川や海など高知の自然が好きなことは変わらず、仁淀川河口でのサーフィンやウナギ獲りに出かけやすい場所に自宅を建てたそうです。
「なので、昔、百貨店の物産展でアイスを販売していたときは、都会暮らしが1週間以上続いて息苦しくて。それで高知に帰ってきて、鏡川の上流に行き、川に浸かった」
におい、音、風と、川のすべてに癒されたという。
「生き返る感じがした。乾燥した麩が水を吸い込むみたいに、『ジャーン、エネルギーを充填!』ですよ。川に潜って岩の下を覗いたり、アユがほかのアユを追い払ってなわばりを守っているのを観察したり。アユも一生懸命頑張りゆうなとか、川から勇気をいっぱいもらった」
どうです、こんな浜町さんだから仁淀川が呼び寄せたに違いないのです。
(以下、仁淀ブルー通信編集部だよりに続きます)