2017.06.23仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 「果物農家編」

仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 「果物農家編」

味に導かれたという、ちょっとかっこいい人生に出会いました。
果物栽培を受け継いだ移住者の、こだわりと挑戦の物語です。

第3話 「小夏」の美味しさに感動して
寺下孝司さん
大阪府→土佐市へ(2013年3月に移住)

「ここ土佐市の魅力ですか? 」と考えをめぐらせていた寺下孝司さん(37歳)の答えは、「やっぱ人じゃないですかね」でした。
「超薄い断熱ペーパーを開発した会社や、ツナ缶を作っている高知海洋高校の生徒(ツナガール)とか、海洋深層水を使ったメロン農家など、いろんな、おもしろい物づくりをしている人たちがいます。これが土佐市の資源ですよね。」
 かくいう寺下さんも物づくりに情熱を注ぐ人で、2013年にこの地へ夫婦で移住し(奥さんのちひろさんはUターン)、小夏とブドウの栽培に取り組んでいます。
「その前は、大阪で住宅設計の仕事をしていました。出身も学業も大阪で、大学での専攻は建築でした。」
 つまり、全く畑違いの世界に飛び込んだわけですが、なんでまた?
「それはですね、小夏の味を知ったから。」

article088_01.jpg寺下孝司さんを土佐市波介地区へと導いた小夏。

 小夏というのは高知県の名産品の一つで、温州(うんしゅう)ミカンより一回り大きく、土佐文旦(とさぶんたん)を小さくしたような形の柑橘。宮崎県の日向夏(ひゅうがなつ)、愛媛県のニューサマーオレンジと同じ種類なのですが、産地ごとの品種改良により、その地独特の風味になっています。その素敵な名前の通り初夏の果物で、外皮を剥き、白い皮と中の果実を一緒にいただきます。
「嫁(ちひろさん)の実家が小夏の農家(森田農園)をしていて、その小夏を食べて、感動した。すごく美味しいんです。それが始まりでした」と寺下さん。
「でもお義父さんが病気で農業を続けられなくなった。小夏栽培は、義母が一人でもできるビニールハウス一棟だけを残して、やめてしまおうということに。こんなに美味しいのに、そして80年以上小夏を作り続けてきたのに、なんてもったないと僕は思ったんですね。」
 そして農業に興味もあったので、寺下さんは農園を継ぐことに。大阪にいる間に、国の制度を利用して農業研修もしました。

article088_02.jpg白い部分を多めに残して(これはちょっと少なくなってしまった……)剥くのが小夏の食べ方。白い部分は水溶性食物繊維で、食用可。果肉と一緒に食べることで、小夏の甘みを一層引き出します。

 寺下孝司さんを導いた小夏を試食させてもらいました。小夏といえば「南国土佐らしい、さっぱりと甘酸っぱい風味」と評されるのですが、さて、寺下夫妻が継いだ小夏は……なるほど、旬の小夏は味が芳醇。果汁豊かで、爽やかでありながら濃い。高級ハチミツのように優雅な風味も感じます。酸味と甘みのバランスが絶妙で、洗練された味わいです。
「今期のものは、味を追いすぎましたね。なので見栄えが悪くなってしまった。」
 過剰に味を追求すると見栄えが悪くなるって、どういうこと?
「美味しくなるようにいろいろ工夫すると、虫などが寄って来やすくなります」とちひろさんが説明してくれました。つまり、美味しいものに目がないのは人間だけではないと。
「で、皮が齧られたりして見た目が悪くなることもあるんです。」
 複雑に絡み合った生態系を相手にする、それが農業。だから一筋縄ではいかないことも多そうです。こんなこともあると寺下さん。
「雨が少ない年は、カビ菌があまり発生しないので、それが原因の果樹の病気も少ない。しかし、害虫は増えるのです。乾燥を好むというか、水が当たると死んでしまうぐらい小さくて弱い虫でも生き延びていくからです。」

article088_03.jpg寺下孝司、ちひろご夫妻。ちひろさんの実家の果樹栽培を継いでいます。

 高知県の小夏といえば、今では2月ぐらいからでもお店に並びますが、寺下夫妻は旬(4月下旬~6月中旬)の出荷にこだわっています。
「本当に美味しい小夏を食べてもらいたいので。味の濃いやつを」と孝司さんがいえば、ちひろさんは「高知の初夏の風物詩ですから。少し汗ばむころの時期に食べて美味しい酸味と甘みですよね」と頷きます。
「高知の食べ物は、味をとことん追求して成り立つのだと僕は思う。だから旬は大切にしたい。」
 となると、小夏の旬の時期にかぶらないで出荷できる何かが必要――ということで着目したのがブドウ栽培。寺下さんの農園がある土佐市波介(はげ)は、高知県下では珍しいブドウ栽培の地域でもあるのです。しかし生産者の高齢化が進み、ブドウをやめる人が少なくないとか。
「そういう人たちからブドウ畑を借り受けたり、嫁の実家の畑を利用するなどして、栽培に挑戦しています。今年は3シーズン目で、「ふじみのり」と「ベリーA」という品種を手がけています」と寺下さん。
 とはいえ、高知県と聞いてブドウをイメージする人は少ない。つまり岡山県のマスカットのように、高級ブランド果物として売れるわけではないのです。
「でも、高知の人は地産地消が好きで、県内で作られたものを好んで食べてくれるんです。だからブドウを作ればちゃんと買いに来てくれるのではないかと。」

article088_04.jpg美味しくて買いやすい価格のブドウをと、試行錯誤が続いています。

地元で気軽に食べられるブドウを

 寺下さんが目指しているのは、贈答品というより、いつもの暮らしのなかにあるブドウのようです。
「省力化して、美味しいものを買いやすい価格で提供できたらなと思っています。僕がいた大阪府はブドウ栽培が盛んで、例えばデラウエアの収穫量は全国3位。また観光もぎとり園は人気があるし、直売所でもブドウはかなり売れていました。なので、そういうことがここでもできたらと。直売であれば、高級なマスカットみたいに、房の形を整えるとか、大きさを揃えるなどは、あまり気にしなくていい」
 なるほど、そのぶんの農作業の手間を省けて、価格を抑えられるということか。
「また、観光もぎとり園であれば、お客さんが自分で摘んでくれるから収穫の手助けになります。うちのように人手が少ない農家に向いている。」

article088_05.jpg借り受けたブドウ畑。ここで栽培していた人は背が低かったのでしょう、寺下さんにはちょっと窮屈なブドウ棚の高さです。若い人が農業を継ぐ場合、このような苦労も。

 さて、小夏栽培は義母から継承していけるのですが、ブドウ栽培については、いわば大海に浮かぶ小舟の状態だった寺下さん。教えてくれる先輩農家はいるものの、苦労も多いようです。
「1年間放棄されていたブドウ畑の扱いなど、『こうすればよかったなあ』と悔やむこともあります。わからないことは独学しています。文献を調べたり、ブドウ産地の農業試験場に問い合わせたり。大学院にいた頃はそう思わなかったけど、調べる、研究することが性に合っているようです。」
 それから、と寺下さんは、挑戦することも好きですねと付け加えました。
「子どもたちが普段でもたくさん食べられるような、買いやすくて、美味しいブドウを作っていきたいんですよ、ここで。」

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)

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