2021.04.23椿山探訪—学生たちが見た限界集落の風景(第1回)—
![椿山探訪—学生たちが見た限界集落の風景(第1回)—](/entries/assets_c/2021/04/article247_eo-thumb-695xauto-4218.jpg)
山深い吾川郡仁淀川町のさらに奥の奥に、椿山(つばやま)という集落がある。仁淀川町役場からは山道を通り、車で40分ほど。標高約700mの斜面に、家々がへばりつくように並んでいる。この秘境のような場所に、高知大学地域協働学部の学生たちが興味を持った。まずは”遠足”と称して3月24日、仲田和生さん、田中李奈さん、薬師寺康平さんの学生3人と私、仁淀ブルー通信の黒笹慈幾・編集長とともに、椿山へ向かった。
くねくねとした山道をひたすら車で進み、「本当にこの先に人の住む集落が?」と思い始めたぐらいでやっと現れるのが椿山だ。標高が高い分、空と山が迫ってくるように近く感じられる。しんと静かで、聞こえてくるのは川のせせらぎと鳥のさえずり、木がざわめく音ぐらい。私は何度か取材で訪れているが、たどり着くたびにいつも別世界に迷い込んだような新鮮な気持ちになる。
初めて訪れた学生たちはなおさらだ。車から降り、目の前に迫りくる山を「おおー…」と声にならない声とともに見上げた。
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少し集落を散策する。家々をつなぐ急な坂道。古びた木造の家屋。学生たちは全てに興味津々でカメラを向け、ときおり山と空を見上げ目を細める。3月下旬の山あいは春の訪れを感じさせ、むくむくと伸びてくる草花たちの勢いを感じる。道ばたにあったミツマタの花を学生たちがのぞき込み、ちゃんと先が三つに分かれていることに感動する。山の中腹を見つめ、「あ、滝がある!」と指さす。
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この遠足には、椿山の雰囲気をつかむこととともに、もう一つ目的があった。椿山唯一の住民、中内健一さんに会うことだ。
平家の落人が切り開いたとも伝わる椿山。かつては焼き畑で食料となるアワやヒエ、キビを作り、紙の原料となるミツマタ栽培などで現金収入を得ていた。ただ、1955年に48世帯245人が暮らした集落も時代の波に逆らえず、徐々に人が減っていった。そして2019年、最後の住民が去り、定住者はいなくなった。
限界集落から消滅集落になる危機を救ったのが、椿山出身の中内さんだ。定年退職後、2020年春に住民票を移し、椿山に戻った。「生まれ育ったふるさとを何とか存続させたい」。そんな思いがあり、畑を耕し、ハチミツを取り、伝統の祭りを続け、生活している。
集落を歩いていると、道ぶちで草刈りをしていた中内さんに会えた。突然の訪問にも気さくに対応してくれ、さまざまな話を学生にしてくれた。焼き畑をやめ、将来の世代を思い杉やヒノキを植林したのに思うような価格にならなかったこと、集落を維持するのに1人ではとても人手が足らないこと、神社荒らしにも遭ったこと…。語られるのは厳しい山間集落の暮らし。ただそれでも、中内さんは山の生活を楽しそうに語り、学生たちにも「公民館で泊まれますよ。風呂はうちで入ればいい」と呼び掛ける。学生たちはその話を、真剣な表情で聞いていた。中内さんとともに公民館に行き、かつての集落の写真や太鼓踊りの道具も見せてもらった。「学校の授業より絶対楽しい!」と学生たちは笑っていた。
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まだ作業がある中内さんと別れ、さらに集落を散策する。伝統の太鼓踊りが披露される氏仏堂、その隣に根を張る杉の巨木、茶畑、神社などを見て回った。急な石段がある場所では、唯一の女性である田中さんが「え、ここを下りていくんですか…。ちょっと、怖いな…」とたじろぐ。それでも道なき道を進み、集落を五感で感じていく。
椿山には、先人たちの生活の痕跡がいたるところに残されている。積み上がった石垣、住民が去ってそのまま崩れていく家、畑の跡。その一つ一つを、学生たちは、自らの目で見て手を触れ、自分たちの中に吸収していっているように見えた。
学生たちに感想を聞いてみた。「こんなにじっくり石垣を見たことがなかった」「時の流れが止まっている感じがする。タイムスリップしたみたい」「人がいたっていう痕跡が残っているのが何とも…。感慨深いです」。何百年と営みを続けてきた椿山の風景に圧倒され、頭の整理がまだまだ追いついていないような様子だった。
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学生たちはこれから春夏秋冬、季節が移ろいゆく椿山に本格的に入っていく。道が行き着く先で、懸命に暮らしをつないできた人々の生活の跡が、まだ残っている。そんな光景は、都会はもとより海外を旅してもなかなか出会えないのではないだろうか。
椿山という場所で学生たちが何を感じ、何を学んでいくか。その様子をこれから見ていくのが楽しみだ。
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(高知新聞佐川支局 楠瀬健太)
★次回の配信は5月7日予定。
「その教育に魅かれ、移住する人も! とさ自由学校とは?」をお届けします。
お楽しみに!
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