2021.03.26「牧野富太郎が見た風景」第5回 最終話

「牧野富太郎が見た風景」第5回 最終話

 人生100年時代において、高知県佐川町出身の植物学者・牧野富太郎(1862~1957年)に学ぶべきことはたくさんある。彼は94年という歳月を生き抜いた。ただ長生きをしたばかりではない。年を重ねれば重ねるほどに植物への知見は深みを増し、人々の敬慕の念は高まっていった。連載「牧野富太郎が見た風景」の最終回となる第5回は、その充実した晩年の姿をみてみよう。(牧野富太郎の写真は高知県立牧野植物園提供)

 牧野富太郎は幕末に生まれて、明治・大正・昭和の時代を生きた。亡くなったのは1957年、昭和32年のことである。94歳という年齢は、今はさほど珍しくはないが、当時としては特筆すべきことだったろう。
 牧野77歳。そのときの心境をこんなふうにつづっている。

 〈幸い若い時分から身体に何の故障も無く頗(すこぶ)る健康に恵まれているので、その辺は敢(あえ)て心配無用ダ。私の脈は柔らかく血圧は低く、エヘン元気の電池であるアソコも衰えていなく、そして酒も呑まず煙草も吸わぬからまず長命は請合いダと信じている。マア死ぬまで活動するのが私の勤めサ〉「講談社学術文庫『牧野富太郎自叙伝』より」

 牧野富太郎の取材を通じて、多くの植物学者たちや植物愛好家に会って話を聞いたが、みんな例外なく、すこぶる元気だった。
 四季の移ろいを敏感に感じながら、野山を歩き、植物を観察する。研究する。自然との一体感、陽を浴びながらの山歩きという運動、そして植物研究という知的活動。そうしたものが身体の健康を若々しく保っていくのだろう。

article245_01.jpg 早春の佐川町「牧野公園」で見つけたオオミスミソウの可憐で美しい花。その奥には牧野博士が愛したバイカオウレンの花も咲いていた。

 牧野博士の「退職」は実に77歳のときであった。このとき博士は東京帝国大学の講師という身分だった。1年ごとに契約は更新されてきたが、ついに大学側から辞職を言われたのだという。牧野の講義は学生に人気があり、社会的な名声も高かった。新聞は「四十七年勤めて月給七十五円、東大追われた牧野博士」という見出しで、このことを報じた。
 人生100年時代。私たちの困難と喜びは「定年退職」後の生き方にあるのではないだろうか。会社など組織を離れてからの人生もまた長い。牧野は「自叙伝」に書いている。

article245_02.jpg書斎で植物を手にして満面の笑みを浮かべる牧野博士。見ているほうまで幸せになる。

 〈大学を出て何処(どこ)へ行く? モウよい年だから隠居する? トボケタこと言うナイ、われらの研究はマダ終わっていないで尚前途遼遠ダ。マダ自分へ課せられた使命ははたされていないから、これから足腰の達者な間はこの闊(ひろ)い天然の研究場で馳駆(ちく)し、出来るだけ学問へ貢献するのダ〉

 博士の鼻息荒いような元気さが伝わってくる。
 それは空元気ではなかった。翌年、78歳のときには「牧野植物図鑑」が刊行される。何年も準備を重ねてきて、ついに刊行された本格的な植物図鑑だった。たちまち版を重ねた。そしてこれは驚くべきことだと思うが、「牧野植物図鑑」は牧野の死後も改訂を重ねながら、今も現役の植物図鑑として刊行され続けていることだ。植物の研究機関はもちろんのこと、植物愛好家たちの本棚には「牧野植物図鑑」が今も置かれ続けている。

article245_03.jpgこれも牧野公園で見つけたフクジュソウ。永久の幸福を招くという花言葉もある。

 この植物図鑑も牧野博士の名声をさらに高めた。昭和天皇も、この図鑑を参照しながら、植物観察をしていたという。牧野86歳。皇居に招かれて、植物を愛した昭和天皇へのご進講を行った。昭和天皇から「あなたは国の宝です。もっともっと長生きしてください」と言葉を掛けられたことを繰り返し語っていたという。

article245_04.jpg自宅の膨大な蔵書に囲まれて、本を手にする牧野博士。その生涯を植物研究に捧げた。

 しかし人には寿命がある。昭和31年の年末から危篤状態となり、昭和天皇からも見舞いのアイスクリームが届いた。何とか年は越えたが、昭和32年を迎えてすぐに亡くなった。
 牧野博士のひ孫に聞いた話だ。最晩年を一緒に過ごした。さすがに外出もできなくっていたころ、庭で遊んでいると、牧野がふらりと出てきて、その庭にある植物をずっと熱心に観察していたという。
 ある愛好家の話も印象に残っている。植物観察の楽しみは、その体力と年齢に合わせて、さまざまにある。若く体力があるときは高山に登り、その植物を楽しめばいい。それができなくなったら近くの公園を歩けばいい。そしてそれすらもできなくなったら、すぐそばの庭にある花々を愛でればいいのだ。(おわり)

(高知新聞社学芸部・竹内 一)

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「仁淀ブルーの里にできた標高500mの『シェアハウス山茶山荘』」をお届けします。
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