2021.01.29<仁淀川ボタニカルスケッチ散歩>第4回 牧野富太郎さんのふるさとを歩く

<仁淀川ボタニカルスケッチ散歩>第4回 牧野富太郎さんのふるさとを歩く

 寒い日がつづいていますね。夫婦で仁淀川エリアを歩き、植物やおいしいものを描いていくシリーズの4回目は、牧野富太郎さんのふるさと佐川町をたずねました。 僕は東京でずっと展示デザインの仕事をしていたのですが、22年前、高知市五台山に牧野富太郎記念館が建つことになり、その展示デザインを手がけたことをきっかけに、牧野さんの魅力に惹かれ、42歳のとき彼に導かれるように高知へUターン。牧野植物園で働くことになりました。そこで今の妻と出会ったので、牧野さんは僕たちの仲人みたいな気もしています。シリーズ最終回の今回は、そんな牧野さんを育んだ町を歩きました。

 1月16日午前8時、雨のあがった小春日和の朝、朝食をとらずに自宅から車で西へ向かいました。いの町の国道沿いの「中嶋製パン所」のパンが食べたかったからです。食いしん坊の妻の計画で、できたての美味しいお惣菜パンを食べようと、中嶋製パン所の駐車場に車を停め、線路の踏切を渡ってショーケースに並んだ昔懐かしい美味しそうなパンの中から、サラダパン(2コ)、ツナパン(妻)、ピザパン(僕)を買って、お店のおじさんにあいさつし、佐川町へ。

article238_01p.jpg 中嶋製パン所
〒781-2110 高知県吾川郡いの町藤町2
Tel. 088-892-0378

 花の少ない時期ですが、牧野植物園の先輩、稲垣典年(のりとし)さんから佐川町の大奈路(おおなろ)に牧野博士が愛したバイカオウレンの群落があることを教えてもらい、仁淀川の支流「柳瀬川(やなのせがわ)」沿いに県道298号を越知方面へ。川の右岸から大奈路橋を渡ったところに車を停めて、山のふもとの細い林道を、足元に注意しながら川を左手に見下ろしつつ、しばらく歩いていくと、数十メートルにわたって深緑のバイカオウレンの葉が群生している場所がありました。

article238_02.jpg  バイカオウレン / キンポウゲ科
ひんやりとしたヒノキ林の細い道。斜面の木々の間には柳瀬川の川面が見え、そのせせらぎと鳥の声だけが聞こえる場所に、ポツリポツリと白い萼片を開き、花粉を運んでくれる虫を待っているようでした。

 地面に這いつくばって可憐なバイカオウレンをスケッチ。待っている妻の足が冷えてきたので、道を引き返して橋を渡り、ぽかぽかと日の当たっている川沿いの土手で、持参したホットコーヒーとミルクティーで、お待ちかねの朝食を食べることに。

article238_03.jpg中嶋製パン所で人気ナンバーワンのサラダパン。ポテトサラダ(具はキュウリ、玉ねぎ、春雨にコショウ)と、ゆで卵が絶妙のバランスで、何個でも食べられそう。

 冬の河原に広がる一面のススキの向こうを、川は音もなく流れ、対岸の緑深い山は夜明け前のような静けさ。そんな景色をぼーっと見ながら、陽の光をたっぷり浴びつつ、買ってきたパンをほおばりコーヒーを飲んでいると、この1年どこにも旅に行けなかったけれど、こうやって野外に出てふだんと違うスタイルで朝ごはんを食べるだけでも、十分に満足感や開放感を感じられて、ちょっとしたスケッチ旅行のようでした。

 お腹も満たされ、次の目的地、牧野博士の母校「佐川小学校」へ。ここには正門を入ってすぐ牧野さんの胸像が建っています。牧野植物園や東京の牧野記念庭園など、牧野博士の銅像は全部で5基(!)ありますが、中でも佐川小学校のこの胸像は、晩年の博士の人柄を見事に現していて、 僕はこの像が大好きです。この日は何かの集いがあったようで校内は賑わっていました。妻が先生にスケッチの許可をもらいに行き、僕は博士の胸像に一礼してスケッチを描きはじめました。

article238_04.jpg台座の正面の書は吉田茂によるもの。像は昭和28年に建てられています。博士が91歳、東京都名誉都民になった年です。裏面に「重蔵」というサインがありました。きっと優れた彫刻家ではないでしょうか。かくしゃくとしていながら優しげな眼差し、晩年の牧野博士がいまにも語りかけてきそうな趣きです。

article238_05.jpgヤブツバキ / ツバキ科
像の後ろの小さな蕾を、牧野さんの後ろ姿とともにスケッチ

 牧野公園へ移動して車を停め、酒粕の甘い香りのする酒蔵の道を1年ぶりに歩きながら「牧野富太郎ふるさと館」へ。

article238_06.jpg牧野富太郎ふるさと館
高知県高岡郡佐川町甲1485
Tel. 0889-20-9800
かつて「見附(みつけ)の岸屋」と呼ばれた牧野さんの生家跡地。博士の生誕150年を記念して2013年に建てられました。僕は7年前から植物画教室の講師として呼ばれています。

article238_07.jpg〈2018年植物画教室で描いた シロツメクサ / マメ科〉
牧野博士が生まれた場所で植物画を教えるなんておこがましいけれど、牧野さんも喜んでくれているんじゃないかな。去年はコロナ禍のために開催できず、今年はできるといいなと思います。

 ふるさと館の裏手には、ひっそりとした趣きのある”西谷の湧き水”があり、その向かいに『セルボーンの博物誌』を50年かけて翻訳した佐川町出身の英文学者・博物学者西谷退三さんの住居跡があります。青山文庫で見た写真の、英国風の素敵な住居の名残でしょうか、レンガの煙突が当時を物語っています。ここには何か惹かれるものがあり、違う時間が流れているような気がします。

 さて、昼食の予約時間が近づいて来たので僕たちは表通りのうなぎ料理の老舗「大正軒」を目指して、いそいそと歩いて行きました。

article238_08.jpg大正軒 うなぎ定食《梅》
大正2年創業の老舗。こんがりと焼かれた肉厚のうなぎの蒲焼と、ご飯のふくよかなマリアージュがたまらない。仁淀川山椒(越知町産)のピリリとクールな香り、お吸い物のミツバの青い香りが味を引き立てます。妻、曰く「うなぎは食べ物の中でも別格やね」。

大正軒
高知県高岡郡佐川町甲1543
Tel.0889-22-0031

article238_09.jpgセンリョウ / センリョウ科
大正軒入り口の坪庭に、センリョウが紅い実をつけていました。牧野博士の命名植物です。

article238_10.jpgロウバイ / ロウバイ科
帰り道の途中、ロウバイの花が咲いていました。かわいらしい蕾をたくさんつけた枝を、大きな石の上に乗っかって描きました。

article238_11.jpg司牡丹工場の杉玉
スギ / ヒノキ科
工場の入り口に酒造業の守り神が吊るされている。ちょうど50年前、愛宕中学校の秋の遠足でここへ来て、みんなで酒粕を食べて酔っ払ったことを思い出した。のどかな時代でした。

 毎年11月の宵、この酒蔵の白壁の建物に、いろんな作家の絵が投影されるイベント「酒蔵ロード劇場」が開催されています。僕も3年前から参加して「司牡丹の焼酎蔵」と「キリン館」の2つの建物に投影する絵を描いています。

article238_12.jpg「2020年酒蔵ロード劇場・キリン館のための原画」
疫病退散を願い、植物満載のボタニカルな魔除けパレードを描きました。(去年はコロナ禍のためオンラインでの配信)

 佐川町のあちこちに、僕が昨年イラストを描いた佐川町の企画「まちまるごと植物園」のポスターが貼られていてなんだかうれしい気分になりました。

article238_13.jpg佐川町の地域の植物、お祭りなんかをディズニーランド風の地図に仕上げたもの。絵の中には10人の牧野博士が!ポスターを見かけたらぜひ探してみてください。

 小さな町の中に、文化の香りがゆたかに感じられるここは、いつ来ても新鮮で深みのある場所です。さかわ観光協会が運営する”旧浜口邸”の座敷に座って「ぢちちアイス」を食べながら一休み。牧野さんとも交流の深かった“ブラジル移民の父”水野龍(りょう)さんゆかりの「カフェーパウリスタ・オールド」のコーヒー豆をお土産に、佐川の町をあとにしました。

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 後日、自宅でこの日のスケッチに色を塗っていた時のこと。買って来たコーヒー豆を挽いて湯を注ぎ、目の醒めるような深みのある味と香りを楽しみながら、持ち帰ったコーヒーの栞を読むと、銀座の「カフェーパウリスタ」には、ジョン・レノンとヨーコ夫妻が足しげく通い、このオールドを飲んでいたとあります。僕はアルバム「ジョンの魂」(1970年発表)を聴きながら、今日が牧野博士の命日(1月18日)であったことを思い出しました。
(おわり)

article238_15.jpg

(高知の展示デザイナー 里見和彦)

★次回の配信は2月5日予定。
高校生が歩いて見つけた「いの町ステキなお店BEST7」
をお届けします。お楽しみに!

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