2021.01.15龍馬はこの道を通って脱藩した? 朽木峠へ古道歩き

龍馬はこの道を通って脱藩した? 朽木峠へ古道歩き

 高知が誇る偉人、坂本龍馬。彼の歴史の表舞台への旅は、故郷から抜け出すことから始まりました。その「脱藩」のルートではないかという古道を歩いてみました。

 高知県一の有名人といえば坂本龍馬ですが、地元で何かを成し遂げたかというと、実は「?」。亀山社中や薩長同盟、歴史に記されたアレコレは高知県以外での活躍なのです。
 そんな龍馬の、高知県での数少ない足跡の一つが「脱藩」。26歳の春、このままでは何もできぬと龍馬は藩を捨て、何の後ろ盾もない浪人となり、日本各地を奔走していきます。

article237_01.jpg 梼原町にある坂本龍馬(真ん中)の脱藩をイメージした像。左は一緒に脱藩した澤村惣乃丞、右は梼原からの道案内をした那須俊平。

 この脱藩のルート、いまのところ龍馬の足跡が確認されているのは、旅立ちの高知城下、高知と愛媛の県境の山里・梼原(ゆすはら・高知県高岡郡梼原町)、瀬戸内海(伊予灘)に面した肱川河口の長浜(愛媛県)ぐらい。どのルートでこの3つの町を結んだのかは諸説ありです。

article237_02.jpg私が20年前の取材で脱藩の道とみなしたルート(朱色、四国旅マガジンGajA10号より)。

 しかし、私が個人的に有力視しているのは、「普段の移動と同じく、最短の、歩きやすい街道を選んだ」という説。藩の許しを得ない行為「脱藩」は重罪ですが、藩内を歩いているときは「脱藩」してないわけで堂々と歩けばいいし、他の藩に入れば土佐藩の追っ手も来ないだろう……屁理屈ですかね?

article237_03.jpg朽木峠への古道。

 さて、そんな龍馬脱藩の有力ルートで、昔ながらの街道の趣を残すのが朽木峠越えの山道です。この古道は明治初期まで主要な交通路で、土佐藩主も高知県西部の視察で利用したとか。

 朽木峠の古道の登山口は、斗賀野峠(とがのとうげ・その地下には国道494号斗賀野トンネルがある)から車道を西へと進み、舗装路が途切れる場所の100mほど手前。ここから山道を歩くこと約30分で朽木峠です。

article237_04.jpg水色が古道。朽木峠への詳細地図は、国土地理院のサイトでプリントアウトしましょう。この記事の後ろのほうで、朽木峠~蟠蛇森(ばんだがもり)登山のことも紹介しています。

article237_05.jpg朽木峠への登山口(右の道を上がっていく)。ここから未舗装路を300mほど進んだ先(左の道)に駐車スぺース(車20台分ぐらい)がある。

article237_06.jpg岩で荒れていたり、滑りやすい箇所あり。

 このような山道を、龍馬の頃の人たちはワラジでスタスタと歩いていたのか……と感心するのは早合点かもしれません。当時は交通の要衝、歩きやすいように整備されていたと考えるのが妥当でしょう。

article237_07.jpgかつては集落や農地があったのだろうか、石積みのそばを登っていく。

 木々に囲まれた古道の雰囲気も、龍馬の頃とは違うのでしょう。道のそばの林を覗けば、石積みでできた階段状の地形が奥へと続いていました。ここは、開けた段々畑のなかの道だったのかも……などと空想に遊ぶのが古道歩きであります。

article237_08.jpg朽木峠。展望台と仮設トイレがある。

 朽木峠は標高536m。登るのがちょっと怖い手作りの展望台からは、稜線に風車がならぶ津野町の山々を一望。とても山奥に来たという気分にさせてくれます。地図もコンパスもない時代、人々はどうやって行く先を見極めていたのか。

article237_09.jpg朽木峠の展望台からの眺め。一番高い頂は四万十川の源流になる不入山(いらずやま、1336m)。

 高知城下から肱川(ひじかわ)河口の長浜までは、四国山地の峠をいくつも越える約150㎞の道のり。龍馬はこれを3日間で踏破したらしい(その内約30㎞は川舟で肱川を下ったという説もあり)。
 以来、龍馬が京都で暗殺されるまでわずか5年間。現代なら5年で名を残す人もいるでしょう。しかしあの時代は歩く、馬に跨る、帆船に乗るなど移動そのものに多くの時間と体力を消費したことを考えると、龍馬曰く「日本を今一度せんたく」という大仕事を5年で成し遂げるのはまさに奇跡。龍馬は、江戸、京都、神戸、長州(山口県)、下関、長崎へと飛び回り、南九州で新婚旅行と登山と温泉療養までしていました。

article237_10.jpg急ぎ足で、何かからの脱藩。少し気分が軽くなるかも。

 朽木峠からの帰り道、ふいに、静寂を強く意識しました。こんなご時世だからでしょうか、時が流れても、耳を澄ましても、空にジェット旅客機の音がない。きまぐれな梢のざわめきと、小鳥のさえずりが山の大気を飾るだけ。
 龍馬の時代と同じ気配が、からだに染み入ってきました。

article237_11.jpg薄暗い古道にも、探せば光が。

もっと歩いてみたい人へ―朽木峠歩きのオプションプラン



●プランその1『 鉄道と路線バス利用で、脱藩の道を1日楽しむ 』

 ルートは、JR斗賀野駅→朽木峠→三間川(みまのかわ)集落→新土居(津野町)の約12㎞で、徒歩4~5時間。公共交通機関を使っての朽木峠歩きが楽しめます。気分はまさに龍馬脱藩!?
 公衆トイレはJR斗賀野駅、朽木峠(仮設トイレでとトイレットペーパー無し)。斗賀野駅以外で飲み物を買う場所はありません。

■ルートガイド
①JR土讃線の斗賀野駅から出発。線路沿いの小道を南へ。

article237_12.jpg斗賀野駅からの小道。

②国道494号に出たら、下の看板のところで左の踏切を渡り、すぐに右折。

article237_13.jpg看板のすぐ先、左手に踏み切りあり。

article237_14.jpg踏切を渡ったらすぐ右折、この道を登っていく。

③最初の左カーブのミラーの近くから、脇の細道に入って登っていく。

article237_15.jpgこのミラーが目印。

④まもなく舗装路に出るので、そのまま直進、約150mで数軒の家が見えてきたら、下の画像のところで脇道に入る。

article237_16.jpgここから山のほうの脇道(左)に上がる。

article237_17.jpg小さな「脱藩の道」案内板が目印。

⑤再び舗装路に出る。ところどころ、つづら折りの道をショートカットする山道がある。

article237_18.jpgショートカット地点には、このような「脱藩の道」案内板がある。

⑥この先、分かれ道では上がっている方を選んでいくと朽木峠への登山口へ。

⑦朽木峠からは国道197号方面へ下る。かなりの急坂なので注意。石積みの段々畑が印象的な三間川集落で山道は終わり、ここから約3㎞で国道197号へ。「新土居」停留所から路線バスに乗ればJR須崎駅へ行ける。バスの本数は午後3本しかないので事前に時刻表(高知高陵交通:須崎~梼原線)でチェックを。

article237_19.jpg朽木峠から津野町の国道197号までは案内板がある。

●プランその2『太平洋の大展望、蟠蛇森(ばんだがもり、759m)登山』

 朽木峠から少し足を延ばして、展望抜群の名峰へ。登山の心得と、登山の基本的装備(コンパス、地図、ヘッドランプ、飲料水、雨具など)が必要です。朽木峠→蟠蛇森へは徒歩約1時間。

article237_20.jpg蟠蛇森からの展望。画像の左上の入り江は須崎市街。

article237_21.jpg落ち葉に覆われ、道が不明瞭なところもあり。全くの登山初心者だけのグループにはお勧めしません。

article237_22.jpgこのようなテープを道標にしよう。

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)

★次回の配信は1月29日予定。
「仁淀川ボタニカルスケッチ散歩(4)」をお届けします。
お楽しみに!

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