2020.07.17「牧野富太郎が見た風景」 第2回 故郷佐川から「世界」を見る

「牧野富太郎が見た風景」 第2回 故郷佐川から「世界」を見る

 世界的植物学者・牧野富太郎が見た故郷の風景と自然を見つめながら、その生涯をたどる連載の2回目は、人生の夏ともいえる青年期に思いをはせてみよう。植物を愛して独学で研究を重ねた青年は、故郷の高知県佐川町を離れて上京する。学歴をいえば小学校中退であった牧野青年は、大胆にも東京大学理学部植物学教室の扉をたたく。土佐からやってきた異様なほど植物に詳しい青年に、東大の教授や学生たちは驚いた……。牧野富太郎の生家は「岸屋」という屋号を持つ造り酒屋と雑貨を扱う裕福な商家だった。その「岸屋」を再現した模型が「牧野富太郎ふるさと館」の入口に展示されている。

 佐川町にある牧野富太郎の生家跡から歩いて4分ほどの所に「牧野公園」はある。7月初旬、活発な梅雨前線が一休みした週末に公園を散策した。
 「この時季は花が少ないねえ」
 公園を訪れた人たちはそんなふうに軽く嘆きながらも、この時季ならではの草花を見つけて楽しんでいる。なんといっても存在を誇示しているのはアジサイたちで、湿潤と暑さを味方にして、シックな色彩のパレットのような花をあちらこちらで咲かせている。

article224_01.jpg梅雨の晴れ間、牧野公園のあちこちにアジサイの花が咲いていた。

 「牧野公園」の入り口には、牧野博士ゆかりの植物を紹介する無料のガイドマップが置かれている。夏(6月~8月)バージョンのマップを手にして園内をめぐる。公園の植栽を世話している知人から〈テバコマンテマがまだ咲いていると思います〉と知らせてもらっていた。
 あでやかなアジサイを眺めながら、マップに従って「テバコマンテマ」に会いに行けば、その小さな白い花びらが風に揺れていた。高知県の手箱山で発見され、牧野博士が命名した植物である。今では絶滅が危惧されている希少な植物が、牧野公園で大切に育てられ、花の時季を迎えていた。
 アジサイがゴージャスな西洋風美人であるなら、「テバコマンテマ」は割烹着姿の清楚な女性のようだ。とても小さく、風にそよそよと揺れている。苦心しながら撮影をするのも楽しい。
 あの手箱山に咲いていた花が、生まれた家のそばで今年も咲いている。きっと牧野博士はにっこりと笑うだろう。

article224_02.jpg高知県の手箱山(現在の吾川郡いの町寺川にある標高1775mの山)で発見され、牧野博士が命名したテバコマンテマの花。四国に特有のもので、山中の岩場でひっそりと咲く。牧野公園では6月から8月にかけて開花が楽しめるという。

 さて、そろそろ牧野青年を故郷から旅立たせなければならない。
 植物を愛する。ただそれだけで青年は満足することがなかった。牧野の生家は造り酒屋などを営む裕福な環境にあった。家業を継ぎながら植物愛好家として生きることもできた。けれど彼は佐川の地にあって「世界」も見ていた。日本の植物学は西洋にずいぶん遅れをとっていた。まずは日本の全ての植物をきちんと分類し、国際的なルールに則って命名しなければならない。
 英語も学んでいた牧野は世界の事情にも通じていた。明治14(1881)年、19歳のときには東京で開かれた第2回内国勧業博覧会に足を運び、顕微鏡や書物を買い求めた。上京の意志は固まった。
 22歳。再び上京した牧野青年は東京大学理学部の植物学教室を訪ねた。牧野は著書「牧野富太郎自叙伝」(講談社学術文庫)に、こんなふうに書いている。

 〈東京の大学の植物学教室は当時俗に青長屋といわれていた。植物学教室には、松村任三・矢田部良吉・大久保三郎の三人の先生がいた。この先生等は四国の山奥からえらく植物に熱心な男が出て来たというわけで、非常に私を歓迎してくれた。私の土佐の植物の話等は、皆に面白く思われたようだ。それで私には教室の本を見てもよい、植物の標本も見てよろしいというわけで、なかなか厚遇を受けた。私は暇があると植物学教室に行き、お陰で大分知識を得た〉

 牧野青年は東大の学生たちとも親しくなって、ともに植物の研究に励む。それを教授たちも認めている。東大の入学試験を受けたわけではないのに。そこには牧野の植物に対する知識の深さと植物学を究めようとする情熱があるのだろう。そしてまだ大らかさのある時代だった。近代国家としての大学制度は始まったばかりであり、牧野のような在野の研究者を受け入れる寛大さもあった。
 こうして牧野青年は日本の最高学府において植物学研究に没頭できる環境を得ることができたのだった。そしてその持ち前のバイタリティーで、東大の学生たちを圧倒するかのような成果を上げていく。

article224_03.jpgキレンゲショウマの花が咲こうとしている。高知県出身の作家・宮尾登美子の「天涯の花」で、主人公の女性が自分の人生と重ね合わせるように愛した花として登場する。

 「牧野公園」ではキレンゲショウマの花もちらほら咲いていた。見ごろはこれからのようだ。
 「ここのキレンゲショウマはね、一斉には咲かないんですよ。山とは違って。だからまあ長くは楽しめますね」
 佐川町に隣接する須崎市からやってきたという女性が教えてくれる。1週間ほど前に公園を訪れていて、そろそろ咲くだろうと梅雨の晴れ間に再び来たのだという。

article224_04.jpgラン科の常緑多年草「セッコク」。暖地の山中にある樹上に着生する。

 「セッコクも咲いてましたね」
 見逃してた私はガイドマップを頼りにして、セッコクの花を探しに行く。けれどなかなか見つけることができない。途方に暮れていると、さっきの女性が通りがかって、教えてくれる。
 「ほら、そこそこ、その木のところ」
  女性が指さす頭上の木を見上げれば、そこに白い花が咲いていた。「セッコク」は樹木に着生する植物だった。地面ばかり探していては見つかるはずはない。不明を恥じながら、「セッコク」の花を見上げる。「セッコク」もまた「テバコマンテマ」と同じような可憐で小さな花だ。さまざまに「置かれた場所」で草花たちは季節を過ごして花も咲かせている。その健気さに心うたれるような思いで牧野公園をあとにした。

◆牧野公園とは

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牧野公園は、佐川町出身の植物学者・牧野富太郎博士により贈られたソメイヨシノの苗を植えたことを契機に桜の名所として整備されてきました。桜の老木化と再生事業を繰り返し、現在も桜の再生に取り組んでいます。併せて、牧野博士ゆかりの植物を楽しんでもらう公園として、2014年から10年計画でリニューアルを進めています。園内には「牧野公園ぼたにかるMAP」の春・夏バージョンと秋・冬バージョンが置かれていて、1年を通じて植物観察を楽しむことができます。園内マップは「さかわ観光協会」のウェブサイトからもダウンロードできます。
※高知市五台山にある「牧野植物園」とは違うのでご注意を。

(高知新聞社学芸部 竹内 一)

★次回の配信は7月31日予定。
「仁淀ブルーな川面で、空に浮かぶようなカヌー体験を!」をお届けします。
お楽しみに!

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