2020.03.06【アンコール記事】<清冽な仁淀川を生み出す源の森たち>最終回 黒滝山(2019.03.22配信)

【アンコール記事】<清冽な仁淀川を生み出す源の森たち>最終回 黒滝山(2019.03.22配信)

仁淀ブルー通信では、2018年度に仁淀川流域の自然や生き物を撮り続けてきた高知在住の2人の写真家によるシリーズを連載しましたが、今回は自然写真家・前田博史さんの<清冽な仁淀川を生み出す源の森たちシリーズ>の中から「黒滝山」を再録します。
 早いもので「清冽な仁淀川を生み出す源の森たち」を連載させて頂いてほぼ1年、いよいよ最終の森を彷徨うことになった。長いようであっという間の森巡りだったが、仁淀川流域にはまだまだ素晴らしい源の森がある。機会があればぜひまた紹介してみたい。
 さて最終回に彷徨う森は、仁淀川町と津野町にまたがって聳える「黒滝山」。先の号で歩いた「天狗の森」の東隣にある山である。仁淀川町側から見るとツンととんがって見えるが、ブナなどの自然林を有するじつに豊かな山だ。


article179_01.JPG仁淀川支流「岩屋川」の源流部。源は黒滝山と鳥形山。

 黒滝山登山口までは仁淀川町と津野町のどちらからでも行くことができる。2008年(だったと思う)に黒滝山と鳥形山とのコル(山と山との間にある鞍部の事)を超える車道が開通したからだ。峠周辺の趣は無くなったが、撮影目的で行く時はなるべく時短で行ける方がありがたいから、複雑な心境ながらも利用させてもらっている。
 仁淀川を見ながら現地まで辿りたいので、国道33号線から「秋葉祭り」や「秋葉のしだれ桜」で有名な別枝地区を流れる岩屋川を上って行くことにした。明るい石灰の巨岩が累々と積まれた谷に沿ってしばらく上ると、苔生した溪相の源流部になる。流れる水は手が切れそうな程に冷たく清冽で、湿った谷風とともに運ばれてくる早春の森の香りが鼻腔をくすぐる。樹々の間から降り注ぐ木漏れ日が心地いい。

article179_02.JPG鳥取県の大山にも似た山容。
article179_03.JPG稜線の石灰砕石跡が冠雪のようにも見える。

 植林地帯を抜けると、あたりの山腹には冬枯れの雑木林が広がっている。3月とは言え、標高800m付近の林の風景ははいまだ春にはほど遠い。逆光で見る樹々の枝の群れが、きらきらと銀色に輝いていて美しい。車を止め後ろを振り返ると、鳥取県の名峰「大山」のような山容で鳥形山の稜線が連なっていた。鳥形山は「日鉄鉱業」という世界的な企業が所有して石灰石を砕石しているのだが、砕石後に崩落した石灰の谷の姿を見ると、大山のそれと見間違えてしまう。
 見惚れていると、後方上部で凄まじい破裂音。と同時にガラガラと岩石が崩れ落ちる音が山腹にこだました。まさか車道までは転がり落ちてこないだろうが、ちょっと怖くなったので急いで車を発進させた。

article179_04.JPG落ち葉が積もる登山口の風景。
article179_05.JPG敷き詰められた無数の落葉に映る木影が美しい。

 峠にある不釣り合いな程に大きい広場に駐車するが、広場全体が無数の落ち葉で埋め尽くされていてちょっと感動してしまった。早春の日差しで暖められた落ち葉が、なんとも言えない芳しい香りを発している。風は冷たいが、温かな日差しと芳醇な香りに包まれながら、幸せな気分で身支度を整える。「あ~しあわせ~」とつい言葉に出てしまった。
 登り始めるとすぐに黒滝山の目玉的な名所、「大引割(おおひきわり)・小引割(こひきわり)」がある。ここは「大地の裂け目」「地球の裂け目」などと呼ばれている場所で、その名のとおり林の中の地面がぱっくりと割れているのだ。近くに立てられた看板によると、この場所は国の天然記念物に指定されていて、地面下に埋もれた巨大な赤色チャート(堆積岩)の塊が、地殻変動、もしくは地震によって亀裂したらしい。全長は50m、幅は4~5m、深さは20mくらいはあるだろう。切れ目の縁に立って、木に掴まりながら覗いていると吸い込まれそうになる。なんとも神秘的で神聖な気配が漂った場所である。

article179_06.JPG西側から見た大引割。
article179_07.JPG東側からの景観

article179_08.JPGいろんなチャートで出来た山肌。
article179_09.JPG岩を抱えて生きるヤマグルマの老木。

 大引割を後にして山頂へと向かう。ちょっとした登りの尾根筋に出ると、アセビのトンネルが現れた。日当たりのいい岩場の尾根筋には、時折アセビの集団が見られるが、ここもなかなか見事な群落になっている。登りを歩いて汗ばんだ体をアセビの木陰でひと時のクールダウン。ウェアに染み込んだ汗が、乾燥した大気に放出されてゆく。

article179_10.JPG尾根筋にあるアセビのトンネル。
article179_11.JPG笹原に立つブナの老木。

article179_12.JPG落葉広葉樹林の中をゆく登山道。
article179_13.JPG様々な樹々が混生する。

 アセビの森を過ぎると、程なく道は北側斜面に回り込んでゆく。一日中太陽光の当たらない地面は湿潤で、落ち葉やわずかに生えた草も柔らかく濡れて輝いている。
 湿り気を帯びた斜面の前方に、赤く輝く林が見えてきた。黒滝山第二の見どころ「ヒメシャラ林」である。登山道を挟んで山側と谷側の両側に広がっている。100本くらいはあるだろうか。艶やかな赤褐色の肌が冬枯れの木立の中に際立っていて、怪しいくらい幻想的な風景を創っている。
 頂上までの山腹は、ほとんどが笹原の林床に落葉広葉樹が林立する気持ちのいい混生林が続いている。樹種はブナ、ヒメシャラ、ミズメなど。様々な樹々の表情を見ていると、場の多様性がいかに大事かということが実感できる。それぞれに皆が生きること、それが結果として全体の波動になってゆくのだ。つまりは個々の命を全うする事が、森全体のアイデンティティーを創り上げる・・・という事なのだろう。

article179_14.JPGヒメシャラの林立する北斜面。冬枯れの中の艶やかな光景。

 下の写真は黒滝山の樹々たちの表情。それぞれに個性的で美しい。

article179_15.JPGヒメシャラ。
article179_16.JPGミズナラ。

article179_17.JPGウラジロモミ。
article179_18.JPGクマシデ。

article179_19.JPGブナ。
article179_20.JPGミズメ。

 ところで森を歩く時、僕はかなりの確率で下を向いている。しっかりと足元を見ていないと、つまずいたり滑ったりして危険だから・・・という訳ではなくて(いや、勿論そうなのだが)、森の底にはおもしろい情報が無数に転がっているからだ。
 落ち葉の積り具合から風の強さや方向がわかったり、雨水の通り道もわかったりする。たくさんの生き物の痕跡があって、そこからいろんな事が想像できて楽しい気分になれるのだ。とにかくその森の性格が知りたければ森の底を見るのがいい。
 この森の底の風景を僕は「森床(しんしょう)風景」と呼んでいる。多少ダジャレっぽいのは否めないが、いいネーミングだと思っている。皆さんも森を歩く時、一生懸命に地面を見ながら歩いてみてほしい。きっと今まで知る事ができなかった森の性格が見えてくるだろう。

article179_21.JPGミヤマシキミ。深紅の果実が目を引く。
article179_22.JPGカワラタケの仲間。森の底の造形美。

article179_23.JPGブナの堅果(果実)。去年の秋のもの。
article179_24.JPGブナの落ち葉。無数の葉が森を潤す。

article179_25.JPGトチノキのどんぐり。栗饅頭のよう。
article179_26.JPG北側斜面に生えていたタマゴケ。頬ずりしたくなる。

 原生の樹々の、大らかでふくよかな気配を全身で楽しみながら頂上を目指す。
 東の方角、木々の間に鳥形山が見え隠れしている。登り口では見上げていた鳥形山の稜線だが、今は目線よりも少し下に見える。ずいぶんと登ってきた。
 西に折り返す稜線の道を少し行くと、黒滝山の頂上が見えた。1本の若いブナが立っている。若いとは言っても100年は経っているだろう。枝は風雨で折れ曲り、胴体は苔にまみれていて、堂々たる立ち姿である。
 石灰岩の露出した山頂で硬い煎餅をかじりながらひと休みする。随分と陽が西に傾いてきた。帰りは登山道ではなく原生の尾根を、笹を掻き分けながら猪のように下ってみよう。

article179_27.JPG黒滝山の山頂風景。凛々しいブナが立っている。

 猪のように降りながら命について考えた。
 この世界に存在するすべてのものは生きるために生きている。自分を進化させ、拡大させるために生きている。そしてそれを推進する原動力(エネルギー)になるものが、宇宙にも地球上のいたるところにも遍在している。それは僕たちの身体にも思考の中にも存在していて、アインシュタインはそのエネルギーを「愛」と呼んだ。それを「神」と呼ぶ人々もいるだろうし、科学者や学者は「ゼロポイント」や「素粒子」と呼ぶだろう。今この森に存在するもの、木や笹や岩や土、そして自分の体も、原子まで遡れば材料はほぼ同じものでできている。なのに形がそれぞれに違うのは、振動するエネルギーの周波数が違うだけ、というふうに量子物理学は解いている。そして人間の思考のエネルギーが現実世界を創り出していると言っている。
 俄かには実感できないかもしれないが、そうだとすると、今この時この場所で存在するもの同士が愛の波動を出し合って、それを共有できたらどうだろう。いや、そもそも植物たちは常に愛の波動を出して生きている。人間がそれに気付かないだけなのだ。もっと愛の波動を出そう。思考を開いて彼らを感じ取り、すべてと愛で繋がろう。そんなことを考えている間に、もと来た登山道に降り着いた。
 すっかり陽が傾き、原生林は夕暮れの斜光の中に沈もうとしている。その場で深呼吸をし、樹々の穏やかで厳かな佇まいに思考を合わせてみると、心の中に仄かな明かりが灯ったような気がした。

article179_28.JPG斜光に沈んでゆく原生林。

3月20日から前田博史さんの写真展「海の処方箋  交わるところ」が開催されます。
高知県立歴史民俗資料館(TEL:088-862-2211) 4月5日まで。

前田博史ホームページ  http://maedahakushi.com/

◆渓流竿を忍ばせて黒滝山登山?◆
渓流釣り師として今回の黒滝山の記事を読み直していて気になったことがあります。登山道までのルートを前田さんは「秋葉祭りで有名な別枝地区を流れる岩屋川を上っていくことにした」と書いています。そして岩屋川を「石灰の巨岩が累々と積まれた谷」で「流れる水は手が切れそうに冷たい」川だと表現している。
渓流釣り師ならはこれを読んで「それならばアマゴ (高知での地方名はアメゴ)が生息しているにちがいない」と100%気づきます(笑い)。そこで前田さんに電話をして聞きました「岩屋川にアマゴはいますか」と。即座に「います」と答えが返ってきた。「やっぱり」!
聞けば前田さんも25、6歳くらいまでは渓流のアメゴ釣りに夢中になっていたそうです。高知県の渓流解禁は3月1日だから岩屋川はもう開いています。渓流竿をザックに忍ばせて黒滝山登山、という欲張りメニューも可能でしょう。ちなみに前田さん情報によると別枝(べっし)までは険谷ですが、それより上流は釣りやすくなるそうです。
(釣りバカ仁淀ブルー通信編集長 黒笹慈幾)

★次回の配信は3月13日予定。
「高知仁淀ブルーライドの仕掛人が絶賛、仁淀川流域サイクリングの絶景はここだ!」をお届けします。
お楽しみに!

(天然写真家/前田博史)
●今回の編集後記はこちら