2019.12.06【アンコール記事】仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 「運と縁編」(2017.07.14配信)

【アンコール記事】仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 「運と縁編」(2017.07.14配信)

仁淀ブルー通信では、仁淀川流域に魅せられた移住者たちを紹介してきました。彼らが「なぜここに来たのか」をふり返るアンコールシリーズ。その後の近況もありますよ!
都会から田舎への移住となれば、それなりの夢をもち、周到な計画と覚悟の末という人がほとんど……かと思いきや、勢いと運と縁でなんだか上手くいっている移住者も。人生は愉快だ!

第4話 「とにかく羽田空港へ。そこから突然電話しました」
高石郷(たかいしさとみ)さん(29歳)
東京都→土佐市へ(2015年4月に移住)

「東京で仕事をしていたころ、ある日急に休みが取れることになったので、朝一番で羽田空港へ。そこから土佐市役所の、地域おこし協力隊の担当者に電話したんです。」いきなり、一度も接触したこともないのに、ですか?
「今日これから行きたいんですけど、無理ですか? もう羽田空港まで来ていまして、と。」
 社会人としてアウトな行為です。もちろん市の担当者は驚き、こう対応しました。
「いいですよ、お待ちしております。土佐市の案内もしましょう。」

article091_01.jpg土佐市街を望む。市街地の東を仁淀川が流れていく。

 高石郷さんは東京でシステムエンジニアをしていました。しかし本音は、人と接する仕事がしたかった。
「システムエンジニアの仕事では、1日に〈おはよう〉と〈おつかれさま〉しか言わないこともありました。もっとお客さんの顔が見える仕事をしたかった。みんなに楽しんでもらったり、一期一会の出会いが好きでしたね。だから観光業に興味があったんです。」
 そんなときたまたま見つけた求人サイトに、地域おこし協力隊の募集があった。条件は「観光振興を担当すること」で、地域は土佐市。…高知県か、一度も行ったことがないなあ。そういえば大学時代の友達に高知県出身者がいた。彼はいつも「高知は最高」と言っていたっけ…これだ! 
と直感がはたらいた高石さんは、飛び込み営業スタイルで土佐市に押し掛けたのでした。

article091_02.jpg土佐市の街並み。

 さて初めての土地、しかも車の運転は不慣れな高石さんは、高知龍馬空港からレンタカーで土佐市へと向かったものの、通常1時間のところを2時間半もかかったらしい。
「カーナビは桂浜経由の最短コースを案内していたのですが、いつの間にか高知市街に入ってしまいました。東京ではあまり車の運転をしなかったし、路面電車が行き来する道路なんかどう走っていいかわからない(笑)。住宅街の路地に迷い込んだりと、もう大変で。」
 ふつうなら、こんなに準備不足で勢いだけの行動の先にあるのは、「若気の至りでした(涙)」となるのが関の山。しかし高石さんは地域おこし協力隊に見事採用され、2015年4月に移住した土佐市で、望み通りの仕事と暮らしを楽しんでいるようです。
聞けば、「貯蓄が苦手な性格」なのだとか。
「食べることが好きなんです。小さいころからの憧れは、大人になったらいいものを食べたいな、でした(笑)。中学生のとき、駅弁を特集する雑誌などを買って、『お金を稼ぐようになったら絶対食べてやるぞ』と。東京の暮らしでは宵越しの金は持たないノリで、安くて美味しい食事処を開拓していきました。」
 これってなんだか、高知県人と相通ずるところがあるような気がします。高石さんが土佐市にたどり着いたのは運命なのかもしれません。

歴史的遍路道を体験してもらいたい

 昨年、2016年の土佐市のニュースといえば、「土佐遍路道青龍寺道」が国の史跡に指定されたこと。それは昔ながらの風情が残る遍路道で、第35番札所清滝寺(きよたきじ)と第36番札所青龍寺(しょうりゅうじ)の中ほどにある約1.6㎞の区間。塚地峠(つかじとうげ・185m)を越えて土佐湾の漁師町・宇佐へと至ります。
 地域おこし協力隊として、高石さんはドラゴン広場の観光案内所とともに、青龍寺道を利用した観光振興に取り組んでいます。具体的には、地元ガイドを養成して、青龍寺道を歩くツアーを商品化すること。
「青龍寺道には磨崖仏(まがいぶつ)やお遍路さんの墓標などがあり、その歴史的価値が評価されて史跡になったのですが、それらがあるのは麓近く。その他の道中で、お客さんに何を楽しんでもらうかが課題なんです。」

article091_03.jpg「青龍寺道」にある、巡礼の途上で亡くなったお遍路さんたちのお墓。

 高石さんは、植物の専門家や地元のおじいちゃんやおばあちゃんに青龍寺道を一緒に歩いてもらい、山野草のことや、「昔はこうだった」という話を聞きました。また、先達さん(お遍路の案内人)にお遍路についての専門知識を教えてもらうなど、いろんな方面からのネタを集め、アイディアを練ったそうです。
「例えば道中にはネズミモチという木があるのですが、その実を煎じると漢方薬になるんですね。アンチエイジングの効果があるとか。それを、道中でお茶にして飲んでもらいます。また、土佐市にはモクメン(木毛:木材を細く削った、天然の緩衝材)を作る工場があります。そこからモクメンをいただいて、道中でお客さんに『どれがクスノキの匂いでしょうか?』ということもしたいですね。青龍寺道にはいろんな木が生えていますから。」
 青龍寺道のような古道の観光ツアーといえば、〈自然を鑑賞して史跡の解説を聞く〉というのが一般的です。しかし、高石さんが目標にしているのは「味覚や嗅覚なども使い、ここでしか体験できないことを、五感で楽しんでもらえるツアー」のようです。

article091_04.jpg「青龍寺道」の歴史や自然の魅力を案内するガイドの養成も、高石さんは担当している。(※募集は終了しました)

高知県への移住者あるある

 青龍寺道のガイドツアーを企画していきながら、様々な人々に出会ってきた高石さん。印象に残ったのが、地元のご老人たちが山野草にとても詳しいことでした。
「道を一緒に歩いていると、『これはツリガネニンジン、根が美味しい』とか、冗談なのでしょうけど『鳥が食べているものは人間も食べられる(笑)』など、いろんなことを教えてもらいました。高知県ではイタドリなど食用にしている山野草の種類が多く、それが驚きでした。」
 驚いたといえば、川の幸のこともそうでした。
「僕は大都会で育ったので、川は眺めるものでした。川と食がつながらなかった。」
 だから川魚にもあまり馴染みがなかったという高石さん。
「アユ漁解禁後のある日、仁淀川の河原で飲み会がありました。そこで、川で捕れたアユを串に刺して焼いてくれたんです。それまでの僕は、アユの内臓は美味しくないと思っていて、いつもそれをよけて食べていた。でも、このときは内臓も美味しくて、アユって全部食べられるのだなあと感心しました。」
 他にも、飲み会での返杯の習慣とか、高知の居酒屋のビールはほぼ必ずアサヒとキリンの2銘柄を用意してあることなど、移住者ゆえに「へ~! 」なことがいくつもあったようです。しかし一番の驚き、というか戸惑いは土佐弁。
「〈~しゆう〉と〈~しちゅう〉の違いとか。〈しゆう〉は〈している〉、〈しちゅう〉は〈すでにしている〉なんですよね。難しいですよ。観光で訪れるお客さんに標準語で対応すると、なんだかガッカリされるので(笑)、土佐弁をマスターしたいところです」

article091_05.jpg土佐ドラゴン広場内にある観光案内所が高石さんの仕事場。

 ところで、地域おこし協力隊の任期は3年で、今年で高石さんはその3年目になります。当面の目標は、できるだけ早く青龍寺道の散策ツアーを商品化すること。では、その先は?
「地域おこし協力隊の任期を終えても、高知県で観光の仕事をしていきたいです。」
 運と縁に導かれた高石さんだから、きっと高知県は放っておきませんよ!

◆その後の高石郷さん◆
 高石さんはこの記事のあとに地域おこし協力隊を卒業し、土佐市にとどまり、念願の観光の分野で活躍中です。近況をいただきました。
「現在は、土佐市観光協会に採用頂き、観光業務に携わっています。地域おこし協力隊の時から関わらせて頂いているお遍路道『土佐遍路道青龍寺道』が 商品化され、地元ガイドの方々と取り組んでいます。 観光協会ではHPやSNSなどで土佐市の魅力を発信していますので、ぜひご覧ください。」
土佐市観光協会

★次回の配信は12月13日予定。
「野鳥写真家の和田剛一さんと空飛ぶ川漁師・ミサゴの落ちアユ漁を見に行く」です。
お楽しみに!

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)
●今回の編集後記はこちら