2019.11.15【アンコール記事】仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 『ハーブ農家編』(2017.09.08配信)

【アンコール記事】仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 『ハーブ農家編』(2017.09.08配信)

仁淀ブルー通信では、仁淀川流域に魅せられた移住者たちを紹介してきました。彼らが「なぜここに来たのか」をふり返るアンコールシリーズ。その後の近況もありますよ!
未経験からいきなり農家に、しかも高知県内では数えるほどのハーブ農家を目指すチャレンジャーを訪ねました。彼が胸に抱く、「移住者だからこそ」とは?

第5話 「ハーブ農家として生きていく」
寺岡雄大(てらおかゆうだい)さん(33歳)
大阪府→越知町へ(2013年4月に移住)

 高知の夏らしい、肌にまとわりつく山の大気に汗をかきながら、寺岡雄大さんを訪ねました。場所は越知町の仁淀川支流、坂折川(さかおれがわ)を見下ろす石積みの段々畑。ここで寺岡さんはハーブ栽培に取り組んでいます。
 「スペアミントやオレガノ、ローズマリー、セージなどいろんなハーブを1反4畝ぐらいの畑で育てています。それに加えてピーマンも5畝ほど。」
 スペアミントに近づいてみると、2歩ほど離れていても香りが届きました。
 「そうですか?お客さんからも、うちのハーブは香りが高いと言われるんですよ。」
 夏の仁淀川流域は気温と湿度が高い。そんな気候条件のたまものでしょうか。
 「でも、梅雨の湿気と暑さでハーブが溶けてしまうんですね……。」
 越知町に移住して4年目、農家としての本格デビューはこの春からの寺岡さんに、これまでの苦労と、これからのチャレンジを聞いてみました。

article099_01.jpgローズマリー。

田舎に移住し、未経験だけど農家になりたい場合、比較的スムーズなルートは、

1 農業をしている田舎の親族を頼る。
2 農業法人の社員になる。
3 各都道府県の農業大学校や、新規就農者向け講習で農業技術を学ぶ。

などがあります。しかし、「自分の想いやこだわりを農業に」という独立開業の場合は一筋縄ではいかないもの。しかし寺岡さんは、大胆な行動で夢を実現させたようです。
「生まれも育ちも仕事も大阪でした。まずプログラマーを4、5年していたんですが、体を壊しまして。」
 IT系にありがちな、仕事量の多すぎる会社だったようです。次に寺岡さんが選んだのは、「もの作りが好きなので」と鉄工所へ。
「ここがむちゃくちゃな会社で、給与などの約束を反故にされたりすることが何度も。そうしているうちに、うつ病になったんです。」
 その治療に励みながら、自分の進むべき道は何かを考えた寺岡さん。
「やはり物を作ることが好きだなあと。それから、熊本県の天草で暮らす祖母のことを思い出しました。祖母の畑でキュウリなんかを収穫したことが楽しかったな、と。」
 だったら田舎で畑仕事をすればよいと、移住先を探し始めた寺岡さん。農業らしき経験はトマトやハーブのプランター栽培、知識は本からというのに、なかなかの決断です。
「北海道が希望でしたが、大阪の親に何かあったら遠い。次に高知県はどうだろうかと。」

思い立ったらやるから、計画性も何もないんです

「家族と一緒に、車で1週間ぐらい高知を旅しながら、いろんな町を訪ねました。役場の移住担当に電話して、突撃訪問するのを繰り返しながら。」
 そのとき、越知町の対応がすごく親身で丁寧だったそうです。
「けれども、越知での新規就農は無理といわれた。農業はしんどいし、中山間地域なのでまとまった農地の確保が難しいと。」
 でもこんな募集があると紹介されたのが、地域おこし協力隊。祭りの手伝いや川の掃除など町の仕事をこなしながら、空いた時間は自由。
「これなら畑仕事も可能だと応募したところ、運よく採用されました。」
 そして2013年、寺岡さん夫妻は長男と共に越知町へ移住。その後長女が生まれ、保育士資格を持つ奥さんは越知町の幼稚園で働くなど、地域との結びつきを深めてきました。

article099_02.jpg寺岡さんのハーブは香りが高くて好評。

地域おこし協力隊に入ったおかげで

 移住者にとって、地域おこし協力隊になるメリットの一つは、町役場職員という肩書を持つことで田舎にとけ込みやすいこと。
「農家になりたい地域おこし協力隊員がいる、というのを越知の人に知ってもらえたのは大きかった」と寺岡さん。その結果、移住後まもなく農地を借りることに成功します。
「それは耕作放棄地で、僕の背丈以上の草ぼうぼう。畑の中に入れない状態でした。」
 一度は草刈りをしたものの、すこし管理を怠ったら再び雑草畑に。高知の植物の生命力に心が折れそうになったことも。
「いろいろ苦労はありました。朝ドラになるんちゃうか、いうくらい。」
 移住1年目は台風の当たり年。猛烈な雨で畑が水田状態になり、トマトの根が腐っていった。50年ぶりに越知に雪が積もったこともあった。そして去年の干ばつ。
「異常気象を一通り体験しました(笑)。それから、大阪での栽培ではハーブが虫に食われなかったのに、ここでは虫の数がすごく多くて参りました。」
一からの農業なので、失敗しながら少しずつ前へ。
「雨のなか畑を耕したこともありました。先輩農家から、雨の日に畑を耕したら土の中の空気が抜けていかんと言われて、そうなんやと学んだり。」
 ときには、購入した中古トラクターがガラクタ同然で、10万円をドブに捨てたことも。よくもまあ、くじけなかったですね。
「いや~くじけてますよ、何度も。でも会社勤めと違って逃げ場はない。背水の陣です。」
でも好きなことなんで、と寺岡さん。
「お客さんに、『今まで使っていたハーブに比べて、香りが段違いです』と言われることもあって、そんなふうに認められるとすごく嬉しい。頑張ろうという気持ちになれる。」

article099_03.jpgちょっと開花時期をはずれていましたが、セージの花。

なぜハーブなのか

 寺岡さんは、大阪暮らしの頃から、就農するならハーブ栽培と決めていたそうです。
「自分が好きなもので、お金になりそうなのはハーブ栽培だろうと。市場で値段をつけてもらえるようになれば、ハーブの㎏単価は、例えばピーマンよりずっと高い。そして、栽培にあたっての資材や肥料の費用があまりかからない。」
 課題は、高知の気候風土に適した栽培方法と、販路開拓だと寺岡さん。高知県では暮らしにハーブがあまり浸透していないようで、専門の栽培農家は越知では寺岡さんぐらい。県内でも1、2軒ほどのようです。
「でも、僕が成功したら、ハーブ栽培をする人が増えると思います。これは年をとってもできる農業。ハーブは重量が軽いので、なるべく体への負担をかけずに長くやれる。」
 けれども失敗したときは?
「万が一そうなっても、名前は残るかなと(笑)。『越知で最初に本格ハーブ栽培を始めた男、ただちょっと早すぎた』とか。」
 どうやら彼は、すでに敷かれたレールに興味がないようです。
「すでに先輩農家がたくさんいる野菜を作って、ぱっとした成績を残せずに埋もれていく、というのは僕にはどうも。地元の色に染まるのも大事やけど、僕らみたいな移住者は、他所からなにか新しいのを持ってこないと……なんて、生意気に思うたりしてます(笑)。」

article099_04.jpg飲み込まれそうな濃い自然に囲まれた畑で、寺岡さんの挑戦はつづく。

 まだまだチャレンジが続きそうな寺岡さんですが、とにもかくにも、ツテも経験もなかったのに農家になれました。新規就農を夢見る人たちにひと言お願いします。
「広告うつ、ゆうんかな。例えばトラクターを買えば、あいつは本気やと思ってもらえる。口八丁というか、僕は日ごろから『大阪に帰る気はサラサラない』とか、『じきにハーブ御殿を建てて、ここらへんの人みんなをグアムに連れていくけえ』とゆうてるし。そうやってみんなに自分の本気を知ってもらって、同時に自分を鼓舞して、というのを僕はしてきた。農家としてはまだまだなんで、言えるのはこれぐらいですかね(笑)」

●寺岡雄大さんの、地域おこし協力隊時代のフェイスブックはこちら。
です

◆その後の寺岡雄大さん◆
 寺岡さんが運営する「寺岡商会」はハーブ栽培だけでなく、いろんな取り組みをしている模様です。近況をいただきました。
「あれからもアルバイトなどもしながら、懲りずにハーブ農家を続けています。『産直おち駅』『川の駅おち』でハーブティーの販売をさせていただけるようになりました。ハーブティーになじみのある方からは『市販品と全然違う』『通販ができるようにしてもらいたい』とのお声をいただけるようになり、通信販売の準備も少しずつ進めています」。 そして夢はさらにでっかく広がっているようです。
「ハーブはもちろんですが、自分たちで養殖しているアメゴや、仲間の作っている野菜なども取り扱えればいいなぁ。通販を開始したらfacebookやInstagramで告知しますので、皆さま、是非「寺岡商会」をよろしくお願いいたします」。
寺岡商会facebook

★次回の配信は11月22日予定。
「仁淀川移動水族館、採集から展示まで驚異の舞台裏」です。
お楽しみに!

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)
●今回の編集後記はこちら