2018.11.23<清冽な仁淀川を生み出す源の森たち>4 石鎚山(いしづちさん)

<清冽な仁淀川を生み出す源の森たち>4 石鎚山(いしづちさん)

西日本で最高峰の山、そして仁淀川の最初のひとしずくが生まれる場所、それが石鎚山である。「霊峰石鎚山」とも呼ばれ、山岳信仰のメッカでもある1,982mの高嶺は、天気のいい日には瀬戸内海を渡った遠く広島県からも、その聳え立った姿を見ることができるというから驚きだ。
この写真は石鎚スカイライン途中から遠望する石鎚山。天に向かって聳える姿が神々しい。

 石鎚山の懐は深く、山腹には手つかずの鬱蒼とした原生林が広範囲に広がっている。その森から浸み出した水は限りなく透明で冷たく、段々と流れ下りながら数々の名渓谷を創り出している。まさにここが「清流・仁淀川」のDNAが詰まった場所なのだ。
 そんな仁淀川のルーツ、石鎚山の谷と森を秋の真っ只中に散策してみた。

article162_01.jpg仁淀川の最源流「面河(おもご)渓谷」の流れ。明るい岩肌の滑らかな谷底が魅力的。

 石鎚山へのアクセスは、高知方面からだと国道33号線経由で石鎚スカイラインを上り、終点の「土小屋登山口」からのコースが一般的だろう。
 スカイラインに入らずにそのまま直進すると、渓谷美で有名な「面河(おもご)渓谷」を散策することもできる。明るく滑らかな谷底が続くかと思えば峡谷にエメラルドグリーンの深淵や大岩があったりと、変化に富んだ渓相が続いている。水面に目をやると、婚姻色に染まったアメゴが秋の陽射しを浴びながら悠々と泳いでいたりと、見ていて飽きることがない。

article162_02.jpg明るい岩肌とエメラルドグリーンの流れ。
article162_03.jpg樹々の間に覗く深淵。

article162_04.jpg積もった落ち葉はミルフィーユのよう。
article162_05.jpg悠々と泳ぐアメゴ。

article162_06.jpg大岩と紅葉に染まる森。
article162_07.jpg夕暮れのブルーに沈んだ流れ。

 面河渓谷両岸に広がる森はほぼ原生のままで存在している。何百年と生きているたくさんの大樹が空に向かって立ち上がっていて、そこから伝わってくる波動は大らかで、そして力強い。気の遠くなるような、永遠とも思える時間を重ねてきたこの森は、すべてのものを優しく包み込む、寛容なエネルギーに満ち溢れている。静かに森の中に佇んでいると、なんとも言えない安堵感が心の中に湧き上がってきて、満ち足りた気持ちになる。あらゆる命は平等で、分け隔てがないのだと気づかせてくれるようだ。
 樹々の葉の擦れ合う音…流れ下る水の音…温度の違う風が代わる代わるに吹き抜けてゆくこと…乾いた落ち葉の匂い…湿った土の匂い…この森の奏でるシンフォニーに身を任せていると、本当にふくよかな気持ちになる。

article162_08.jpg夕日を浴びて輝く原生の森。すべてに祝福がもたらされる。

article162_09.jpg森から絞り出される清冽な水。
article162_10.jpgたくさんの命に見守られて森に還る樹。

article162_11.jpg歓喜の波動に満ちた森。秋の気配も満ちてゆく。

 さて面河の森を充分に堪能したら、後は本命の石鎚山を散策する事にしよう。
 土小屋登山口のパーキングに駐車し、車道から続く登山道へと向かう。左手にウラジロモミの純林を見ながらフラットな道を軽快に歩く。行程は片道4kmほど。
 なのでそれほど長い距離を歩くわけではないのだが、途中には木道やゴロゴロの岩場があるので、すんなりと歩けるわけでもない。木道は歩幅が合わないし結構滑りやすいので気を使うし、岩場は浮石も多く足首に力が入ってしまい、これまた体力が持っていかれるのだ。おまけに最後は垂直に近いほどの崖から降ろされた鎖を登ることになる。尚、鉄製の階段が山頂直下の崖を巻いているので、ゆっくり山頂を目指したい方はそちらに迂回すればずいぶん楽に行ける。
 登山口周辺には霧がかかっていて、目の前20mくらいの景色しか見ることができなかったが、登るに連れだんだんと濃度が薄くなり、時折薄日も差し込んでくるようになってきた。この分だとお昼前には霧は上がるだろう。山頂の厳かな佇まいも見ることができそうだ。

article162_12.jpgウラジロモミの稜線を雲が吹き抜けてゆく。

article162_13.jpg北斜面の風景。綺麗な笹のスロープに紅葉の木々。
article162_14.jpgシコクダケカンバの美しい肌。

article162_15.jpgイシヅチミズキの果実。
article162_16.jpg斜面を覆うミネカエなどの紅葉。

 晴れていれば景色抜群の稜線を歩く。前方に石鎚山頂の姿が、霧の晴れ間に見え隠れしている。南側の斜面を見下ろすと、薄緑色の笹のスロープの下方に仁淀川源頭の森を創っている原生林の最上部が見える。こちらも霧に隠されてその全容を見ることはできないが、その下には面河渓谷を生み出す豊かな原生林が広がっているだろう。
 しばらく歩くと気持ちのいい稜線から離れ、道は石鎚山の北斜面へと回り込んでゆく。急激に立ち上がった屏風のような巨大な懸崖が続く、「北壁」と呼ばれる場所だ。首が折れるほど見上げると、その上は石鎚山きっての名所である「天狗岳」「南尖峰」「墓場尾根」と、聞いただけで震え上がるような懸崖が連なっている。
 「ニノ鎖元小屋」と呼ばれる立派な避難小屋まで来ると、件の「鎖直登コース」と「迂回鉄階段コース」に別れる。今回は修行に来たわけでも度胸試しに来たわけでもないので、すんなりと迂回して紅葉に染まった北斜面を眺めて目の保養をすることにした。ナンコクミネカエデなどの広葉樹の紅葉が、真紅の炎のようにスロープを燃やしている。

article162_17.jpg霧の晴れ間に山頂が顔を出した。
article162_18.jpg笹のスロープと原生林。

article162_19.jpgカエデの紅葉の向こうに切り立つ「北壁」。
article162_20.jpg北壁とブナの老木。 立ち姿に威厳を感じる。

 鉄の階段をうんざりしながら登る。この階段は真ん中に設置された手すりによって、上り方面と下り方面に仕切られている。頂上に向かって左側が登り専用で、右側が下り専用になっている。このシーズンの登山客は少ないが(とは言ってもかなりの数)、夏の「お山開き」の時には全国から石鎚信仰の方々が集まってくる。それはそれはもの凄い数の登山者であふれ返り、その重みで山が潰れるんじゃないかとさえ思ってしまう。なので渋滞緩和の為にこの階段が必要になるという訳だ。信者の方独特の「お上りさんかい~」「お下りさんで~」という掛け合いの声が山に響く。信者ではない僕などにはちょっと滑稽に聞こえてしまうが、慣れてくると耳に心地いい。返答を期待されると困ってしまうのだが。

article162_21.jpg石鎚山最高峰の「天狗岳」。 頂点をかすめてガスが舞い上がる。
article162_22.jpg「西の冠岳」方面の景色。  抜けるような青空に湧き立つ雲が眩しい。

 頂上に着いたのはお昼ちょうどだった。稜線に湧いたガスが雲になり、北風に押されて次々に雲へと変わってゆく。無の空間から突如として出現する水の素。その壮大で不思議な行程を見ていると、何故だかここが仁淀川のルーツなんだと実感してしまう。気がつけばいつの間にか森にかかる霧は消えていた。仁淀川の最源流、面河川の源頭が眼下に見て取れる。石鎚山に生まれたひとしずくは笹のスロープを下り、様々な樹々の祝福を受けながら時には垂直に落ち、そしてたくさんの岩を浸しながら河口までの長い旅を続けるのだ。
 懸崖の上に立ち源流の森を鳥瞰する。そしてこの仁淀川を形成する水の生い立ちに想いを馳せてみる。突然空に湧き上がり、地に染み込んで大海に注ぎ、そしてまた空へと還ってゆく。その様を見ていると、この水という名の循環は永遠に続く一瞬の出来事なのだと思える。ついでに自分の人生も鑑みてみた。「果たしてここに在る水のようにシンプルで純粋な生き方をしてこられただろうか…」しばらく考えてみたが答えには行き着かなかった。まあ、焦ることはない。これから時間をかけてゆっくりと流れていけばいい。
 見降ろした遥か眼下の森からは、大海へと続く微かな谷音が聞こえていた。

article162_23.jpg仁淀川源流の森の佇まい。 神々しく、そして清々しい。

(天然写真家/前田博史)
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