2018.03.16仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 『地域おこし協力隊 編』

仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 『地域おこし協力隊 編』

移住ブームの昨今、田舎に新しい肩書きができました。それは、「地域おこし協力隊」。その名の通り、地域を興す存在としてスポットライトを浴びていますが、その陰には経験者にしかわからない苦労もあるようです。期待と挫折、無力感と喜び…常に隣り合わせの光と影に迫りました。

第12話 「文旦の木の下で光をさがす」
大野宏子さん
埼玉県→日高村(2016年に協力隊就任)

 剪定ばさみと脚立を携え、息を切らせながら急な山道を登っていく一人の女性がいます。2016年から日高村能津地区の「地域おこし協力隊」※として活動している、大野宏子さんです。

※「地域おこし協力隊員」は1年から3年以下の期間、地方自治体の委託を受けて地域で生活しながら様々な地域協力活動をする。人口減少や高齢化等の進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に受け入れ、その定住・定着を図ることで、意欲ある都市住民のニーズにこたえながら地域力の維持・強化を図ることを目的とした取り組み。2009年に総務省によって制度化された。

article126_01.jpg午後、地域の人から託された文旦の木へ向かう大野さん。

 移住前は、埼玉県で10年ほど障害者介護の仕事をしていた大野さん。楽しみといえば、地元埼玉のよさこいチームで踊ることだったそうです。ある日、原宿で開催されるよさこいイベントに本場高知のチームがくると聞き、見にいくと一瞬でトリコに。以来、 高知のよさこいで踊りたい! 」と思うようになり、夏になると踊りの練習のために高知へ週末通いをするという生活を5年ほど続けました。そんななかで高知に住んでみたいという思いが、ほんわか湧いてきたといいます。

「なんで高知の人たちって、こんなに大らかなんだろう? くよくよしていても『なんちゃあじゃない!』って、楽天的でいられるんだろう? そう考えているうちに、もっと高知を知りたいと思うようになりました。」

 移住するにあたって「仕事をどうしよう? 」と考えていた大野さんの目に飛び込んできたのは、「地域おこし協力隊募集」の文字。「仕事があって、住むところも用意してくれて、3年間の任期…これだ! 」と思い、高知市から近い位置にある「日高村」の募集に手を挙げました。

とにかく、やってみる。

 地域おこし協力隊には、それぞれの自治体が定めたミッションが与えられています。大野さんも、【日高村能津地区の活性化】という大きなテーマのもと、【地区の農産物の販路拡大】、【地区にある「屋形船仁淀川」の観光ガイド充実】というミッションがありました。

article126_02.jpg「屋形船仁淀川」ではガイド以外にも、電話対応や事務などもこなします。

 協力隊になって2年めの今でこそ、忙しく自分の仕事をこなしている大野さんですが、就任当初は「一体何をすればいいのだろう? 」という漠然とした悩みを抱いていたといいます。

「自分のやりたいことがきちんとあって、それがミッションと合致している人もいると思いますが、協力隊員のなかには、ぼんやりとした動機で応募した人もいると思うんです。私もそうでした。でも、一般的な会社のように指示をくれたり教えてくれる人は、誰もいない。参考になればと思い、ネット上にある他の協力隊さんの話を読んでみたら、みなさん同じような悩みを抱えていましたね。」

 悩む大野さんの転機となったのは、知人を介して出会った一人の移住者の存在でした。
 その人は【地域おこし協力隊になりたかったけど、なれなかった人】。でも、どうしても高知に住みたくて、自力で家を探して移住。地域の人と一緒にイベントに出店するなど、精力的に活動していました。

「私と同じ時期に移住されていたんですが、その方はすっかり地域になじんでいたんです。聞くと、家は自分で改装して、その姿を見た地域の人が色々な依頼するようになり、それを全部引き受けて自然に仕事が生まれていました。この人は私なんかよりも地域おこしをできている。協力隊になれなかった人がこんなに頑張っているのに…私、恥ずかしいなと思いました。」

 そこから大野さんの考え方・働き方が、ガラリと変わります。

「パソコンの前にいても何もできないし、つながりも生まれない。行って何かしようと思うようになりました。地域のことを全く知らないので、地域の会に出席したり見て回ったり。また、できる仕事はなるべく屋形船の事務所でするようになりました。お客さんの動向がわかるし、地域の人たちの何気ない会話を聞くこともできるし、川の状況も知ることができる。とにかく現場にいることが大事だと思ったんです。」

article126_03.jpg仁淀川周辺の野鳥や植物に興味を持っているお客さんが多いことがわかり、大野さんが自作したフリップ(説明用のカード)。屋形船のガイドが充実しました。

 ひとつの光を見つけた大野さんですが、まだ他にも悩みがありました。それがミッションのひとつである【地区の農産物の販路拡大】です。
 販路拡大といってもどうすればいいかわからない。そもそも能津地区の農産物って何なのか? 地元の人に聞くと「文旦やハッサクかな」と教わりましたが、「えっ! ここに文旦やハッサクの畑があったんだ」と大野さんは驚いたそう。
 それもそのはず。畑はいくつかありますが、どこも山の上や奥の方にあり、高齢化で手入れが難しくなっていたり、耕作放棄されている畑も少なくありませんでした。

「とにかく行ってみなければわからない」と、大野さんは農家さんの元へ。仕事の手伝いもしながら話を聞いているうちに、「放ったらかしの畑があるから、好きにしていいよ」ということになり、人生で初めて農業にチャレンジすることになったのです。

article126_04.jpg葉と枝が生い茂る文旦の木。手入れも収穫も販売も大野さんが行います。

地域のためになっているのか?

 地域の高齢化によって人の手が届かなくなり、”放ったらかし”になっていた文旦。どうやって販路を見つけていけばいいか見当もつかない大野さんでしたが、かすかに光の方向を感じていました。

「自分で初めて収穫した時にとても楽しかったので、収穫体験ができるようになればお客さんを呼べるんじゃないかなと思いました。それに、放ったらかしってことは、農薬も使ってないってことだから、欲しい人がいるんじゃないかと思って…」

 大野さんはさっそく友人に声をかけて収穫体験をしてもらいました。山の上とはいえ素人でも行ける位置にあり、何より遠くに仁淀川が見える景色が最高!
「いけそうだ」という思いが強くなったといいます。

article126_05.jpg文旦畑から見える山々と仁淀川の景色。雄大です!

 また、SNSで無農薬栽培の文旦があると発信したところ、いくつかの注文が入りました。屋形船でもお客さんに試食してもらいながらお土産として販売。さらに、友人からの紹介で商品として取り扱ってくれるところも見つかりました。
 売り上げ金はほぼ、地主さんと収穫のお手伝いをしてくれた地域の人に還元。それまで売れなかったものがお金になり、地域の人は喜んでくれているそうです。大野さん自身も収穫や買ってもらえる喜びを実感していますが、一方で拭いきれない不安もあるのだそう…。

「一箱の注文が入るたびに『やったー! 』と嬉しく思うんですが、じゃあこれが地域の産業になっていくか? と聞かれたら、答えることができない。地域のためになっているのか、本当に不安になります。地域のために頑張っているという思いもあるし、自己満足なんじゃないかという思いもあるし…。」
大野さんは、光と影のあいだで揺れていました。

article126_06.jpg注文してくれた人に喜んでもらえるように、ひと玉ひと玉丁寧になでて箱詰めしていきます。

それでも光を探して。

article126_07.jpgここにいるのは大野さんと、文旦の木だけです。

山を上り、地域の人が任せてくれた文旦の木までやって来た大野さん。
「他の地域おこし協力隊の話題が新聞に出ていると、極力読まないようにするんですよ。自分と比べて落ち込んでしまうので…。」と笑って話しながら、木を見つめます。

「自分が地域の希望になるなんて、大それたことは考えられません。だって、この地域の人って、何でも自分でできるし作れるんですよ。協力隊なのに、逆に地域の人に協力していただいてると実感します。」

 実は、最初に紹介してもらった畑はかなり急な斜面にあり、行くだけでもひと苦労していたところ、それを見かけた地域の人が比較的行きやすい位置にあるこの畑を紹介してくれたのだそう。「最初に紹介してもらった畑からすべてがはじまったので、そこは私にとって神聖な場所」といい、今でも大野さんは手入れに通っています。また、この畑へ続く道も最初は荒れていましたが、大野さんが登っていく姿を見た地域の人が「もっと通いやすいように」と、土を盛って階段状の道に整備してくれました。
「地域の人が私にチャンスを与えてくれているんだ、と感じるようになりました。」

 大野さんがこれから剪定するのは、樹齢60年以上経つ老木。うっそうと枝や葉が伸びているため、このままでは栄養が行き渡らず、いつか枯れていく運命にあります。大野さんは実をつけそうな枝を見極めながら剪定し、根元まで陽の光を届かせるようにしないといけません。
 しかし、いざ木の下に立ってみると、これが難しい。どの選択が正しいのか、本当に切ってしまっていいのか…悩んでしまってなかなか枝を切れないのです。これは何十年もやっているベテランでさえ悩むといいます。

article126_08.jpg光が差す方向を見つめながら、文旦の木と対話します。

 大野さんは作業に没頭するうちにしだいに文旦の木に声をかけていました。
「どうなってるのかな…どうしようかな…」
「これで本当にいいのかな…」
「思いきっていくしかないよね!」
 額には汗が滲み、時々木のトゲが当たって痛みを感じることもありますが、それでも上を向いて手を伸ばします。
「迷いながらでも思いきって進めていけば、だんだんと道筋が見えてくるんですよ。こうすれば光が届くようになるって。」

 大野さんが言ったその言葉は、まさに地域おこし協力隊の役目と同じではないかと感じました。
 大野さんという一人の存在によって、地域の人の心は動きました。忘れられていた畑が思い出され、荒れていた山に道が生まれ、そしてこれから文旦の木が生き永らえようとしています。ひとりの地域おこし協力隊がいたからこそ差し込んだ小さな光は、確実に次の光へとつながっているのです。

article126_09.jpg「地域の人から任された文旦の木だから大事にしなくては」と真剣な表情の大野さん。

 4月になれば、地域おこし協力隊としての最後の1年がはじまります。

「次の1年で販路を確実なものにしたいし、これからも継続できるものだということを、取引先の方にも、地域の人にも知ってほしいと思っています。また、観光農園の計画も、村外の方からも応援していただけるようになり輪が広がっているので、なんとかモデルとなる形にもっていきたいです。」

 自分で切り開き、引き寄せた光によって花は咲くのか?  実はなるのか?  文旦の木の下から、じっと上を向く大野さんでした。

(仁淀ブルー通信編集部/高橋さよ)
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