2018.02.09仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 『ファミリー編』

仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 『ファミリー編』

子を持つ親の立場になると人生観が変わり「移住したい」と考える人は少なくないだろう。一方で、移住による環境の変化や、教育・進路などに不安が過ぎり、移住に踏み切れないケースも多い。果たして、現実はどうなのか?

第10話 「子育て世代、移住のリアル」
小能聖太郎さん・美雪さんファミリー
東京都→沖縄県→日高村へ(2015年1月に移住)

 小能さんご夫妻は、ともに東京都のご出身で、聖太郎さんは飲食店のオーナーシェフ、美雪さんはネイリストとして働いていました。移住を考えるようになったのは、2011年に起きた東日本大震災による原発事故がきっかけ。放射能汚染について様々な情報が行き交うなかで、暮らしのすべてを疑うようになっていたのだそう。

「当時は『この食べ物は安全か? この水は飲んでも大丈夫か? 』とノイローゼ気味になっていました。それに、都会のギスギス感に疲れてしまったこともありましたね。都会にいると自分が生きていくことに精一杯になってしまい、人を気遣う余裕が持ちにくいんだと思います。」(美雪さん)

 移住を決意した小能さん一家は「できるだけ南へ」と考え、沖縄県を移住先に選びました。大らかな雰囲気の土地柄。なにかを疑いながら暮らす必要もなくなり、都会にいた頃の悩みからは解放。しかし、今度は別の違和感が大きくなっていきました。
 報道などで、いわゆる「荒れる成人式」は知っていたものの、若い世代のやんちゃぶりは想像以上。夜遅くまで居酒屋に子ども連れがいることも多く、大らかな土地柄ゆえ許されることと理解はしていましたが、「ここで自分たちが考える子育てをしていけるのだろうか。」と不安が募っていったといいます。
 さらに、予想外だったのが待機児童問題。兄弟ともに保育園に入ることができなかったため、共働きすることができませんでした。

「住んでみないとわからないことってあるんですよね。僕たち夫婦だけなら沖縄で良かったのかもしれない。でも、子ども達がいるからこそ、改めて移住しなくてはと考えるようになりました。」(聖太郎さん)

article121_01.jpg親だからこそ決断した2度目の移住です。

街が近くて、ほどよく田舎

 新たな移住先を考えているなか、聖太郎さんが候補地として挙げたのが、かつて西日本を旅行したときに印象が良かったという「高知県」でした。県内でいくつかの市町村を候補地に定め、まずは高知県庁の移住・交流コンシェルジュに相談。そして、実際に各地域を案内してもらう中で、初めて「日高村」を訪れました。

「案内していただいたなかには周りに誰もいない土地もあって、そこはそこで素敵なんだけど、正直『ここからどうやって学校に行くんだろう』と考えてしまい、今の僕らが住む場所ではないなと思いました。子どもの学校や生活環境を考えて、最もバランスが良かったのが日高村でした。」(聖太郎さん)

「街が近くて、ほどよい田舎感がある日高村は、都会からきた人間には心地いいんですよね。それに役場の人がとても親切丁寧だったことも、決め手の一つになりました。」(美雪さん)

article121_02.jpg日高村が移住希望者に貸しているお試し住宅。

 日高村への移住を決めた小能さん一家は、お試し住宅で1ヶ月間生活して本住まいを探していましたが、決めあぐねてしまい、お試し終了1週間前にやっと家が決定。大慌てでの引越しとなりました。さらに、引越し先の家は以前の住人の荷物が10年間放置されていた状態…。

「どうしよう…と困っていたんですが、役場の産業環境課のみなさんが休日に総出で片付けにきてくださって、さらに、引越しまで手伝ってくださったんです。そのサポートがなかったら絶対住めていなかったと思います。もう感謝しかありません。」(美雪さん)

 ちなみに、引越し先の家からは12トンの不用品を運び出したそう。

子どもがいるから助けてもらえた

 現在お兄ちゃんが通う小学校は、1学年あたり20名ほど。ご夫妻は「多すぎず少なすぎずちょうどいい」と感じています。当初は地元の子に馴染めるか心配もあったそうですが、「日高村の子ども達は元気で素直。入学当日から友達ができてました。」と美雪さんもひと安心。
 また、「学力指導面に不安はないですか? 」と尋ねてみると、こう教えてくださいました。

 「長男が通っている小学校はユニバーサルデザイン校に選ばれていて『子ども達全員にわかる授業』というものを実践していますし、少人数を生かした教育指導も魅力的に感じています。それに、地域の方が教育に積極的なんですよね。朝は通学路に立っていてくれるし、授業では昔遊びを教えてくれたり読み聞かせをしてくれる。地域と学校が協力して、村全体で子どもを育てていこうというのがしっかりできていると感じます。」(美雪さん)

「僕ら自身、小学生のうちは遊びも勉強も大事と考えているので、勉強ばっかりではもったいない。この村の環境を子ども達にしっかり楽しんでほしいと思っています。」(聖太郎さん)

article121_03.jpg遊びも大切に。それが小能さんご夫妻の育児方針です。

 弟くんもすんなり保育園に入園することができ、「子どもたちに関しては、何も問題なく進んだ。」と話すご夫妻。
 しかし、大人に関してはそうもいかなかったようです…。

「苦労したのは、僕らの就職探し。移住を機に農業の仕事をしたいと考えたんですが、そもそも農業の職の探し方がわからない。県の移住コンシェルジュや役場にも相談したけど見つからなくて、仕事探しは自力でやるしかないと思いました。
 いの町のハローワークに行ったら、やはり『農業はなかなかないですよ』と言われたんですが、偶然二つだけありました。一つは遠くの住み込みだったので諦め、もう一つの高知市春野町の個人農家さんで働かせていただくことにしました。そこのご家族にもとても良くしていただけましたね。」(聖太郎さん)

article121_04.jpg日高村から車で約30分の春野町の農園で仕事をしている美雪さん。

 昨年、聖太郎さんは日高村特産であるトマトの農園に転職し、村内で働き始めました。「日高村はトマトの一大生産地になるんじゃないかと感じる」と、働きながら将来の可能性に期待を寄せています。
 一方、美雪さんは現在も春野町の農家に勤めていますが、休日を使って日高村のボランティア観光ガイドに参加するようになりました。

「村外に働きに行っているので、別の形で村に貢献できればと思って。日高村は良いところだから、多くの人に知ってほしいし来てほしい。何より私自身が村のことを知るチャンスだと思っています。
 将来的には、農業をやりながら色々なことにも挑戦してみたい。例えば、外国人観光客に向けて村に実在した茂平という忍者をアピールしたり、観光客と村の人が気楽に触れ合えるような仕組みを考えたり。日高村の人の良さを伝えられたらいいなと思います。」(美雪さん)

 この土地の人を信じて、助けてもらいながらも決してそれに甘えることなく、自分たち自身でも生きる努力を続けている小能さん。苦労がゼロというわけではありませんでしたが、それでも日高村にして良かったとご夫妻は実感しています。

「生活環境がいいし、地域の人たちにもとても親切にしてもらっている。子どもを連れて移住をするのは、大きな決断が必要だし悩みも出てくるけど、僕らは逆に子どもがいなかったら苦しい移住になっていたかもしれない。学校や保育園の保護者とのつながりがなければ、地域で孤立していたかもしれない。子どもがいるから手を差し伸べてくれる人や話しかけてくれる人がいたんだと思います。」
「僕らにとって、村で何か新しいことを始めるのが最終目標。この日高村で何か形をつくっていくことが、僕らにとっての成功に繋がるのかなと思います。そして、子ども達に『田舎でこういうこともできるんだ』と夢を感じてもらいたい。進学や就職で他所へ行ったとしても、いつかは故郷である日高村に帰ってきて、ここで子育てをしてほしいと思います」(聖太郎さん)

日高村への移住についてのご相談は…
日高村役場 産業環境課 移住促進プロジェクト

TEL 0889-24-4647
http://hidakamura.net

(仁淀ブルー通信編集部員 高橋さよ)
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