2018.01.19天界の集落は薬草の里だった!
地域の特産品ときいて、「薬草」を思い浮かべる人はあまりいないのでは?
実は、仁淀川流域の越知町は、漢方薬で有名なあの「ツムラ」が注目する薬草の産地。
その栽培と加工の現場を訪ねました。
空が近い山里にやってきました。遥か下界を流れる仁淀川は鈍い光を反射し、見上げれば雪雲が流れていきます。1月の越知町横畠(よこばたけ)地区。そこは森のなかのつづら折りを登った先にある高原で、たおやかにうねる農地に民家が点在しています。草木も凍えるようなこの時期、収穫をむかえているのがミシマサイコ(三島柴胡)です。解熱、鎮痛などの作用がある薬草で、大柴胡湯(だいさいことう)など様々な漢方薬に配合されています。
ミシマサイコの種まきは2~3月。約1ヶ月後に芽が出て、初秋ごろには小さな黄色い花がたくさん咲き、高原を美しく彩ります。収穫は、機械で少し土をほぐしてから手で引き抜いていきます。腰をかがめ、一つ一つ丁寧に。真冬で、しかも横畠地区は標高300~400m。冷たい北風が吹き抜けていきます。しかし、「寒いのがきついけど、この時期に収穫があるのは助かる」のだそうです。
このような薬用植物を生産・加工調製しているのが、越知町にある農事組合法人「ヒューマンライフ土佐」です。組合員は約460名で、そのうち越知町では152名の組合員がミシマサイコを中心に、キジツ(枳実:ダイダイの未熟な果実を乾燥したもの)やサンショウ(山椒)を栽培しています。また、香川県や愛媛県にもヒューマンライフ土佐の組合員がいるそうです。組合長である山中嘉壽馬(やまなかかずま)さんにお話を伺いました。
「越知町のミシマサイコですが、一農家あたり多いところでは7反~1町、平均で3反ぐらいの農地で栽培しています。収穫したのち各農家が乾燥させて、こちらに出荷してきます。この地域ではかつて養蚕をしていた農家が多く、そのときに使っていた農具や作業場などがミシマサイコの乾燥室として利用されていたりしますね。キジツとサンショウについては生で受け取り、ヒューマンライフ土佐の施設で乾燥・加工調製を行っています。」
ヒューマンライフ土佐で集荷・検品されたミシマサイコなどの薬草は、契約先である株式会社ツムラに納入され、漢方薬の原料生薬になっていきます。
今では原料生薬の供給地になっている越知町ですが、昔から薬草が名産というわけではなかったようです。
「横畠地区では、養蚕をしたり、お茶や里芋、ショウガなどを作っていましたが、薬草栽培の歴史はありませんでした。もちろんセンブリやドクダミといった薬草はあったのでしょうが、それは自分たちで民間療法として利用するぐらいだったと思います。」
変化は今から33年前の1985年。薬草は重くない作物だし、傾斜地での栽培も可能、しかも製薬会社との契約栽培ができる――つまり、高齢化が進む山間地の農業に適しているということで、越知町でのミシマサイコの栽培が始まったのでした。
「最初は手探りでした。一般的な野菜ではなく、いうなればそれは草ですから(笑)。ただの草をどう栽培すればいいかわからない。放っておけば1m近く茎が伸びてしまう。」
夏の気温と湿度が高く、台風にもたびたび襲われる気候風土。しかしそれと共に生きてきたこの地の農業関係者は、その経験からミシマサイコの栽培方法を確立していきます。
「強風で倒伏しないように、病気になったり腐らないようにと試行錯誤して見つけたやり方の一つに『摘芯』があります。栽培期間中、ミシマサイコの茎を適度な高さで3~5回刈りこむことで、地下の根(ここが生薬になる)が伸び、太くなり、丈夫に育つようになりました。」
さらに、昔からの地域の産物であるショウガとの輪作(注1)にむいていたこと、農産物が少なくなる冬に収穫できることなどもあって、ミシマサイコの栽培が盛んになっていきます。そして1990年にヒューマンライフ土佐が設立され、ツムラとの生薬の契約栽培が始まったのでした。
※(注1) 地力の維持と、病虫害を避けるため、同じ土地に別の種類の農作物を何年かに1回のサイクルで作ること。
今回の取材で、私は「土」と「地域」のことを見直さずにはいられませんでした。栽培に適した農地、そしてそれを維持してきた地域社会があったからこそ、薬草栽培という産業が越知町に生まれました。しかもそれは、人々の健康に役立つ産業なのです。
しかし考えてみれば、米もニンジンもモヤシも、あらゆる農産物は人の健康に欠かせない。医食同源――良い食事が健康につながることは広く認められているようですが、ではその食事を支えているものは? 土と地域のことを頭のどこかで意識しておくことは、これからの時代、とても大切になってくる気がします。
(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)
●今回の編集後記はこちら