2018.01.12仁淀ブルーに誘われて ~私の高知移住日記 『劇的変化編』

仁淀ブルーに誘われて ~私の高知移住日記 『劇的変化編』

田舎へ生活の場を移す――その理由は千差万別。だから移住者を取材するのは面白い。夢の実現という人もいれば、ひらめきや、気分で移住する軽やかな心の持ち主もいます。さて、今回登場する人物は…

第9話 「生活環境を劇的に変えて、ゆったりとした人生に」
邨谷公司(むらやこうじ)さん(55歳)
東京都墨田区→いの町へ(2017年3月に移住)

 人には、〈風の吹くまま気の向くまま〉という生き方もあるのだ――なんてことを、昔は、少なくとも年に一度はフーテンの寅さんが教えてくれていたものです。しかし、映画「男はつらいよ」シリーズが終了して幾年月。邨谷公司さんと話をしながら、私は久しぶりに寅さんのことを思い出していました。
「生まれは青森県ですが、就職してからはずっと東京にいました。中野区での暮らしが長くて、いの町に来る直前は墨田区に。東京スカイツリーの近くです。いろんな仕事をしてきましたが、最終的にはアパレル関係から靴のデザインを経て、インテリアデザインの仕事をしていました。自然やアウトドアスポーツへの興味ですか?いやそれがほとんどなくて、下町が大好きで、居酒屋巡りが趣味でした。」

article117_01.jpg「グリーンパークほどの」のオートキャンプサイト。木立が美しい。

 それがなんでまた、いの町の吾北(ごほく)地区という、山と渓谷ばかりの田舎に?
「うちは夫婦二人なんですが、二人とも、そろそろ、もうちょっとゆっくりとした人生にしたほうがいいと思ったんです。歳も歳なんで、自然に触れる暮らしもいいなあと。それから、どうせ移住するなら、極端なほうがいいと考えました。伊豆など関東近郊の田舎暮らしでもいいんじゃないかと、妻に言われたこともあります。でも、それだと東京に戻っちゃいそうで。でもまさか、これほど山深い地域に住むことになろうとは(笑)。」
 高知県を選んだ理由の一つは、食べ物が美味しかったから。四国は5回ぐらい旅行していて、高知県だけは毎回訪れていたそうです。
「高知県には移住の先進地がいくつかあって、最初はそこへの移住に魅力を感じていました。移住者のケアをするようなNPOがあるなど、受け入れ態勢が整っていましたから。でも、いの町を選んだのは、移住関係についてはまだ出来上がっていないなと感じたから。出来上がっている所にいるより、これから、自分たちで作り上げるほうが楽しいじゃないですか。いの町には、移住者が活躍できる伸びしろがあると思いました。」

article117_02.jpg仁淀川支流・枝川川(えだがわがわ)。この上流に「にこ淵」がある。

 まずは昨年(2017年)3月に邨谷さんがいの町にやってきて、4月から地域おこし協力隊に。そして5月末には奥さんも東京での仕事に一区切りつけていの町へ。現在は吾北地区の中心街で暮らしています。邨谷さんの好きな居酒屋はないし、最寄りの大きなスーパーマーケットまで約30kmという環境です。
「東京の知人に、我が家の近所を流れる上八川川(かみやかわかわ)や周辺の写真を見せると、すごく驚かれました。東京との違いがすごいと。」
 邨谷さんも移住当初はこの地の田舎っぷりに衝撃を受けたし、慣れるのにちょっと大変だったといいます。
「でも、周りの人がとてもよくしてくれます。目の前の川で捕れたアユなどは、夫婦二人で食いきれないくらいもらいました。居酒屋はありませんが、地域の人たちとの家飲みすることはありますし。」
 家は、いの町の空き家バンクで見つけた賃貸物件。水回りは町の補助で改修してもらい、あとは自分でリフォーム中です。邨谷さんの奥さんのほうは、畑を借りて趣味の家庭菜園を楽しんでいる模様。ゆくゆくは何か仕事を始めるつもりだけど、今はのんびりとしているようです。

山奥にある自然体験施設に、再び活気を

article117_03.jpgいの町に移住後、邨谷さんが手がけたデザイン。

 さて、地域おこし協力隊としての邨谷さんですが、与えられたのは、デザイン系の仕事の経験をいかす任務。すでに、吾北むささび温泉の看板や、道の駅「633美(むささび)の里」のケーキ屋の看板などのデザインをリニューアルしました。それから、仁淀川支流の枝川川源流部にある自然体験施設「グリーンパークほどの」の活性化にも取り組んでいます。
「ここは町の施設で、学習館、オートキャンプ場、宿泊棟 バンガロー、バーベキュー場など自然体験の施設が揃っています。面積はなんと1000ヘクタールもあるんです。」
 しかし、利用者数は減少しているそうです。
「やはり、ここの良さを活かしきれていないのでしょうね。実際、外部から視察に訪れたほとんどの人は、『もったいないですよね』といいます。ここの少し下流にある『にこ淵』は有名になっていて、そこまでは観光客が来るんですけど。」

article117_04.jpg「グリーンパークほどの」を流れる小川。
article117_05.jpgバンガロー。

article117_06.jpg炊事棟。
article117_07.jpg宿泊棟。

 施設の老朽化も原因の一つだろうけど、それを修繕したり、きれいにしただけでは集客を増やせないと、邨谷さんは考えています。
「かといって、費用はあまりかけられない(笑)。それでも、やれることはあると思っています。例えば、ここは自然がいっぱいなんですけど、ぷらっと行って遊べる場所がないんですよ。公園内を流れる川はすごく綺麗だけど、岸辺が藪だったり、足場が悪かったりしていて、家族連れがのんびりと遊びにくい。それを自分たちで整備するぐらいならお金もかからないでしょう。」

article117_08.jpg「グリーンパークほどの」学習館にて。ここが邨谷さんの活動拠点。

 いろいろと思うところはある邨谷さんですが、まだ移住して半年ほど(インタビューしたとき)なので、まだアイディアを巡らしている状況だそうです。
「昔と違って、アウトドア系レジャーの世界は進化しているじゃないですか。」と邨谷さんはいいます。たしかに、キャンプといえば、自然を楽しむというより宿泊費を抑えるため、という時代がかつてはありました。しかし今は、本当に素晴らしい自然がそこにあるのなら、時間もお金も費やして楽しみたいという人が増えています。わざわざ遠くから仁淀川を訪れる人がいるというのも、その証拠でしょう。
「だから、昔のままではなく、より魅力的にしないといけない。しかも低予算で。ネタはあるはずなんです。たとえば、町にあるもので、休眠状態のものってけっこうある。」
 たしかに、レンタル用として揃えたけど整備する人がいなくて放置されたマウンテンバイク、休校の図書館に残された本など、いろいろありそうです。
「自分たちで少しづつやっていくのも手かなと思っています。そして、こういう施設の再生のノウハウを蓄積できるようになれば、面白いですよね。」

◆グリーンパークほどの

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)
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