2017.11.03仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 『池川こんにゃく編』

仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 『池川こんにゃく編』

仁淀川町を中心に昔から愛されてきた、まん丸い形の「池川こんにゃく」。作り手の高齢化により風前の灯火だったその生産を、一手に引き受けたのは「ここに来るまで丸いこんにゃくを見たことなかった」という女性です。

第7話 手作りの味をつなぐ
古城亜希子さん(山のめぐみ舎 代表)
神奈川県→仁淀川町へ(2013年に移住)

 刺身にすれば独特の食感と風味が楽しめ、煮込めば”じゅんわり”と味が染み込む。食べた人を驚かせ、感動させ、幸せにするのが仁淀川町が誇る「池川こんにゃく」です。
 そして、仁淀川町に移住し、池川こんにゃくを作りながら暮らしているのが古城亜希子さん(41歳)。以前は神奈川県で事務職をしていました。

「人が多いのは好きじゃないし満員電車も苦痛だけど、生きていくにはそれしかない。仕事とはそういうものだと当時は思っていました。でも、たまたま食べた有機食材のお弁当がおいしくて食べ物に興味を持つようになり、有機農家さんの畑にお手伝いへ行ったら、風の感じとか鳥の鳴き声とか、外での仕事がすごく気持ち良くて、自然に近い暮らし方ができればいいのに…と思うようになったんです」

 そうした思いを抱くようになったころ、東日本大震災が発生。交通網の混乱や物資不足などパニックに陥る周囲の様子を目の当たりにして都会のモロさを実感。都会で生きていくことへの違和感は膨らんでいく一方だったそう。
 そんななか、パタゴニアの元日本支社長であるジョン・ムーア氏の講演会で「とても良いところだよ」と教わったのが「高知」でした。興味を抱いた古城さんは移住体験をしてみることに。まずは二泊三日。次は二週間。次は三ヶ月間…とじっくり時間をかけて過ごし「高知で暮らしたい」という思いを固めていったといいます。

article_107_01.jpg仁淀川町用居にある加工場。古城さんをはじめ、地域の女性やスタッフが手際よくこんにゃくを作る

article_107_02.jpg古城さんが作る池川こんにゃくは、ザクザクとした食感の「むく」ともっちり食感の「きび」の2種類

まさかの、こんにゃく

 移住に向けて本格的に動き始めたころ、仁淀川町で「地域おこし協力隊」を募集していることを知った古城さんは、移住体験中に何度か仁淀川町へ訪れていたことや「なんとか暮らせるかもしれない」という思いもあって応募。採用され、2013年からこの地で暮らし始めます。

 当初は移住相談のサポート的な仕事をしていましたが、ある日役場の人からこんにゃく作りを打診されます。それがまさに「池川こんにゃく」でした。町内外から人気を集める名産品でしたが、作り手の高齢化により生産量が減少。その存続が危ぶまれ、役場にまで相談が持ちかけられていたのです。

「ここに来るまで丸いこんにゃくを見たこともなかった私が、まさかこんにゃく屋さんになるとは想像もしていませんでした。でも、池川こんにゃくは今まで食べてきたこんにゃくとは全く別物で、初めて食べたとき、とても感動したんです。お手伝いに行ったことはありましたが全くの素人ですし、手間がかかる大変なことだと分かっていたけど、すごく良いものだし、それがなくなっちゃうのはもったいない。不安もありましたが考え抜いた末、引き受けることにしました」

article_107_03.jpgゴツゴツのこんにゃく芋。町内の生産者さんから買い取っており、お年寄りからは「小遣いになる」と喜ばれているそうです

 池川こんにゃくの原料となるのは町内から買い集めてきた、こんにゃく芋。土の状態が良い畑で3年待たないと収穫できないというから驚き。
 そのゴツゴツの芋を2時間煮たらスプーンを使って皮を剥いで、ミキサーにかけて1時間ほど寝かせます。次に石灰を加えて「バタ練り機」と呼ばれるかくはん機に入れて練ると、独特の弾力を持った生地が生まれます。

article_107_04.jpg長年使い続けているバタ練り機。これでなければ池川こんにゃく独特の食感は生まれないのだそう

article_107_05.jpgバタ練り機で弾力を生んだ生地をまん丸に成型していきます

 すくうようにして1玉分の生地を両手で取ったら形を整え、丸いお皿へ。しばらく置いたら、まるで赤ちゃんに触れるように優しくひとなでして表面をつるんとさせ、釜で茹でます。茹で上がったら粗熱をとって完成。昔ながらの味を守るため、一つ一つ丁寧に手で丸めています。

「まさに”手加減”が重要。特に水分量が難しくて、最初はベテランの方に毎回チェックしてもらいながら試行錯誤…。職人技から生まれる食べ物なんだと感じました。最近になってやっと感覚がつかめ、いいこんにゃくを作れるようになってきました」

 作り方を学ぶ一方で、地域にとって池川こんにゃくがどんな存在なのか興味を持った古城さんは地域の集まりに参加し、地元の人から話を聞いて回ったのだそう。
 すると、多くの人が「お祭りや人が集まる時におばあちゃんが作ってくれた」と話し、地域にとってこんにゃくは思い出とともにあるものだと考えるようになりました。

article_107_06.jpgお皿でさらにまん丸にするのが昔ながらの製法。地元の人はこの形にも愛着を感じています

ほしい人にきちんと届くように

 協力隊の任期を終えた2016年10月、自らが代表となって「山のめぐみ舎」を立ち上げた古城さん。池川こんにゃく作りを生業として生きることを決意しました。

article_107_07.jpg池川こんにゃくづくりに欠かせないのは、こんにゃく芋とたっぷりの水。どちらも山のめぐみです

article_107_08.jpgそして、スタッフの存在も池川こんにゃくづくりに欠かせないもの

「元々お客さんがいるものを引き継がせていただいているから、今こうやって生活ができるんだなとありがたく感じています。いろんな考え方があるとは思うけど、池川こんにゃくは手作りなのでたくさん作れるものでもないし、都会に売り出したいとは考えていないんです。地元の人や帰省した人など、本当にほしい人にきちんと届くようにしたい。昔からそうだったように顔の見える関係で、地域で食べられるこんにゃくでありたいです」

 現在は1回に800〜1000個作ることもあるそうですが、そのほぼ全てが県内で販売されています。製造から配達などすべてを一手に担うため慌ただしい毎日ですが、その合間を縫って進められているのが「こんにゃくカフェ」の開業準備です。
 古城さんは「池川こんにゃくに興味を持つ人を増やしていきたい」との思いから、作りたてのこんにゃくやこんにゃくデザートを提供するカフェを計画。現在は、以前鍛冶屋だった古い建物の改装に励んでいます。

「こんにゃくは意外といろんなものに合うってことも知ってほしいし、作りたてのこんにゃくのおいしさも味わってほしい。それと、こんにゃくづくりのワークショップもやってみたいんです。山には何でもあるし、あるもので暮らす豊かな山の暮らしを感じてもらいたいですね」

 長年愛されてきた池川こんにゃくを守るだけでなく、その未来を描く歩みも始めた古城さん。背負ったものの大きさを感じながらも、気負うことなくじっくりコツコツ。山のめぐみに感謝しながら、今日もまぁるい幸せをつくります。

article_107_09.jpgグレーと黄色の丸いこんにゃくが完成。楽しみにしている人の元へ届けます

【山のめぐみ舎】
ホームページ http://yamanomegumi-ikegawa.net/
Facebook https://www.facebook.com/yamanomegumisha/

(仁淀ブルー通信編集部/高橋さよ)
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