2017.06.09仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 「美術家編」

仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 「美術家編」

ゴーギャンはタヒチの田舎で、ゴッホは南仏の田園の町アルルで傑作を残した……とはいうものの、時代の先端を切り開く気鋭の美術家たちは都会を目指すもの。それがまたなぜ、人口約13000人の小さな町に移住?

第2話 気鋭の美術家がやってきた!
KOSUGE1-16/
土谷享(つちやたかし)さん、車田智志乃(くるまだちしの)さん
東京都→佐川町へ(2016年4月に移住)

 川沿いにのどかな田園が広がる佐川町黒岩地区。ここに住居兼工房を構え、美術家ユニット「KOSUGE1-16」(こすげいちのじゅうろく)として創作活動をしているのが土谷享、車田智志乃さん夫妻です。享さん、智志乃さん共に佐川町の地域おこし協力隊になり、二人のお子さんと一緒に2016年4月に移住してきました。
 で、KOSUGE1-16はこれまでいかなる作品を創作したり、ワークショップを開いてきたかというと――

人間が自転車を漕いで、その動力で模型の自転車がコースを走ってレースする。[作品名/サイクルドロームゲームDX]
テニスコートぐらいの広さがある巨大テーブルサッカーゲーム。盤上のサッカー選手人形は人間の半分ぐらいの大きさ。[作品名/AC-No.4(アスレチッククラブ4号)]
背丈が180cmぐらいある段ボール紙の力士でトントン相撲をする。[作品名/どんどこ!巨大紙相撲]


――という具合に、一般人が「美術」という言葉から想像するものをはるかに超えた、というか言葉で説明し難い快作ぞろいであります(詳しくは「KOSUGE1-16」のホームページをご覧ください)。
 彼らの評価は高く、例えば「時代を想像するものは誰か」を問うために設立された「岡本太郎現代芸術賞」では、その最優秀賞である岡本太郎賞を2007年に受賞しています(受賞作品はサイクルドロームゲームDX)。
 また、智志乃さんは2014年から2年間、イギリスのバーミンガムへ研修。これは文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用したもので、過去には劇作家の野田秀樹さんや狂言師の野村萬斎さんもこの研修生として留学していました。
 つまり、この佐川町に、気鋭の美術家がやってきたという、なかなかな楽しい状況なのです。彼らの工房を訪ねてきました。

article086_01.jpgどんな作品になるのか? 佐川町のいろんな木がここには集まってきます。

地域を巻き込んでいく芸術活動を

――まるで材木屋ですね、大量の木だ。ここでどんなことをしているのですか?

土谷:いろいろやっているのですが、例えば今は木造のメリーゴーラウンドを作っています。高さが3~4mぐらいあって、動力は足漕ぎのペダルです。この7月に、福岡県筑後市の九州芸文館で開催する個展で展示します。

――どういった内容の個展になるのでしょう?

土谷:筑後地方には筑後川と矢部川という大きな川が流れていて、川の氾濫と戦う歴史があったそうです。で、江戸時代にこの地を治めていた藩の一つ、柳河藩の家臣に田尻惣馬という治水の担当者がいました。彼は氾濫する矢部川をタライに乗って下り、水流を見極めて、ここという場所に土居(土手、土塁)を築いた人なんです。そんな田尻惣馬のタライの逸話や地域の伝承、伝統文化に着目して、「そーまのたらい展」というのをやります。制作中のものは、嵐の中でタライに乗るというイメージで、タライが回転していく。つまりタライゴーラウンドになっています。

――これまでのどの作品も大きなものばかりですが……

車田:そうですね、毎回大きなものに。
土谷:大きすぎて、売れもしない(笑)
車田:これまでの作品の多くは、福島県にある私の実家の倉庫に置いてあります。
土谷:遠いんですよ。作品を取りに、往復7万円とか(笑)
車田:東京にいる頃は大きなアトリエだったので、作品を置いておけたのですが。ここ佐川町の工房は置く広さがないので。イギリスのバーミンガムでの研修から帰国して、東京から佐川に移住したときに、作品を福島へ持っていきました。

――佐川町には、町の地域おこし協力隊として移住したとのことですが、町から「これをしてください」というような任務はあるのですか?

土谷:東京から制作の場を佐川町に移してください、積極的に佐川の材を使ってください、町をテーマに何か作ってください、でした。

――それだけ!

土谷:プロポーザル採用なのですが、地元材を使ったエデュケーションキットの開発を提案しています。去年は、「さかわ発明ラボ」と一緒にやる企画で、「TOOL FOR EAT」、つまり、「食べるための道具作り」というのをやりました。ここ黒岩地区には、実際に「黒岩」という岩があるんです。その岩の近くで「黒岩じるし」という6次産業をしている農家さんがいて、プリンなどを作っているんですが、そのプリンを食べるスプーンを作るというワークショップをやりました。佐川のお年寄りから子供まで25人ぐらい参加しました。
車田:参加者はまず通常のプラスチックのスプーンでプリンを試食して、どういうスプーンだったらもっと美味しく食べられるかを考えました。
土谷:スプーンの材料になる木は、この地域で集めたものにしました。デザインから切り出しまで、みんなで1時間半ぐらいやってもらって、最後は黒岩の横に建てた特別な仮設の小屋で、黒岩を眺めながら食べるということをしました。

――参加者がそれぞれデザインするんですね。芸術家として、スプーンのデザインのコツなどを教えたりしましたか?

車田:いえ、好き勝手にやってもらいました。でもまあプリンの瓶の大きさがあるので、瓶に入るように、などのアドバイスは(笑)。
土谷:プリンをぐりっとひとかきで食べたい人はどんなスプーンにしたらいいかとか、ちびちび食べたい人は耳かきみたいなスプーンがいいとかのアドバイスは(笑)。
車田:瓶の隅のプリンも逃したくない人は、角の立ったスプーンがいいとか(笑)。どれが正解というのはないのですから。
土谷:参加者が考えたデザインのスプーン型に大まかに切り出すのは私たちが糸鋸でやりましたが、あとはそれぞれが彫刻刀や電動工具で形にしていきました。

――その「TOOL FOR EAT」ですが、今後も予定していますか?

土谷:今年も佐川町のどこかでやろうと思っています。地域の食を巻き込むというか、風景を使い、出来事もつくりたいんです。その地域の一番いい雰囲気のところでやりたい。例えば黒岩というのは、地元では「黒岩様」と呼ばれているような場所なんですよ。

article086_02.jpg昨年のTOOL FOR EATのフライヤー。今年もぜひお願いします!

天狗のモンタージュ

土谷:もう一つ、この地域を巻き込めるということで、ライフワーク的にやっているのが天狗のお面です。

――天狗ですか!?

土谷:ここからさらに山に入ったところに四ツ白(よつじろ)という地区があって、そこの仁井田神社の秋祭りには300年以上続く「太刀踊り」という真剣を使った舞が伝わっています。その奉納の舞のとき、天狗の面をかぶった人が結界に立つのですが、その天狗のお面、比較的最近作られたものなんです。その前のものは火事で燃えたらしい。それが50年か60年前のことで、しばらく天狗のお面がない時代があって、お金を集めて今のものを作ったんです。で、昔のお面の造形を知れば、太刀踊りのルーツなど、いろんなことがわかるのではと民俗学的な関心があって、天狗のお面のモンタージュをしています。

――天狗のモンタージュ!?

土谷:写真が残っていないんですよ、昔のお面の。なので、その地域のお爺ちゃんやお婆ちゃんにヒアリングをしているところです。

――なんと、50年ぐらい前の記憶が頼りなんですね!

車田:「WANTED(ウォンテッド) 天狗」と名付けました(笑)。
土谷:大分県や宮崎県、高知県の神楽面などいろんな資料を参考にしながら、眉とか目とか鼻とかをパーツにして木で作って、それを何種類か入れた箱を持って、地域の年長者に会いに行きます。
車田:それで、「鼻はこっちかなあ」とか「もっと怖い顔だったよ」とか、福笑いみたいに並べてもらいます。
土谷:そんな意見をもとにして、昔の天狗のお面の造形に近づいていこうと。それで、最終的には、子供の太刀踊りのお面にしてもらえればいいなと。火事で焼けてしまった先代のお面がルーツなんだよと、そのお面は仁井田神社の境内に生えていた楠木の一木彫りで、鼻はギュンと高くて迫力のあるお面だったそうだよと、大人が子供に語れるものになればと思っています。

article086_03.jpg天狗のモンタージュ。楽しそうですね~。

ホワイトキューブが苦手なアーティスト

――過去の作品から一貫して、お二人「KOSUGE1-16」は、地域と関わりの深い作品に取り組んでいますね。

土谷:そうですね、既存のアートの流通というか、近代化したアートのありかたについて興味がなかった。魚屋や八百屋さん、大工さんみたいな感じで、美術家が地域にいてもいいよねというのが、僕らのそもそものコンセプト。マーケットに流通するような便利なサイズの作品とか作ってないし(笑)。

――下町の家がそのまま作品、みたいなのもありますよね。長屋の家の中に抜け道を作って、自転車で通り抜けられるようにした作品とか(「自転車の為の抜け道の為のバリアフリー」)。確かにあれは流通できません(笑)。巡回展もできない。

土谷:逆に、流通するような作品のサイズ感ではないので、超高層マンションのエントランスに恒久設置する作品や、新しい美術館をつくるので常設の作品を作ってくださいというような仕事はいくつか受けたことがあります。

――そういう仕事の場合、いろんな縛りというか制約がありそうです。

車田:初めのころは自由なんですが、だんだんと「こうしてくれ」が増えてくる(笑)。
土谷:まあ、公共の物なので、耐震などお客さんの安全性などが理由ですけど。やりたいことが全力でできるわけじゃあないですね。でも、そこをうまくやっていくのが作家としての器なのでしょうが、自分自身が作家としてもうちょっと大きな器がほしいところです(笑)。

――では、やりたい放題のときは、お二人はどういうことを、どんなふうにやりたい放題していますか?

土谷:やっぱり、まず、地域のリサーチから始めますね。

――地域をリサーチして、その地域に関わる作品をつくるという作風は、何がきっかけで始まったのですか?

車田:というか、それがKOSUGE1-16というユニットを作ったきっかけでした。土谷と私が別々に創作活動していたころ、東京をテーマにしたビデオ作品を作るという展覧会の話がありました。二人ともオファーを受けたのですが、そのとき、撮りたい場所が一緒になってしまった。でも互いに譲れなくて。じゃあ二人でやろうかということで住んでいた自宅住所から引用したKOSUGE1-16になったのですが、そこで、「なんで同じ所が撮りたかったんだろうね」と掘り下げていったんです。どうやら私たちは、周りの環境や場所から出てくるものに魅かれるのではないか。自分の中から現れるものではなく、場所からインスピレーションを受けて創作することに興味があるのではという結論になったんです。

――そのほうが、創作意欲が湧くと。

車田:たぶん、ホワイトキューブ(装飾がなく壁面の色は白という、現代の一般的美術館によくある展示空間のこと)が苦手なんですよ。ホワイトキューブで何か展示してくださいと言われるより、この町で何かやってくださいと言われたほうがいい。
土谷:だから、制作前のリサーチに時間がかかる。
車田:でも、見えない作業だから本当に大変だけど、それも楽しい。

article086_04.jpgKOSUGE1-16ファミリーが借りている住居兼工房は元タバコ屋さんで酒屋さん。今は、お子さんが店長、近所の仲良しが副店長で、駄菓子屋さんをしています。地域の子供の憩いの場だとか。

職業としての美術家

――ところで、美術家という仕事は地方の小さな町では理解されにくいのでは?
「ちゃんと稼げているのか?」とか。

土谷:「いいご趣味ですよね」といわれたり(笑)。「ですよね~」と返してます。

――実際の話、どうゆうところから仕事を依頼されるのですか?

土谷:公共団体や文化系の財団や事業団などからが多いですね。例えば、仙台市のせんだいメディアテークから依頼されたのは「子供の為の創造的な場づくりを行って欲しい」でした。で、年間いくらとお金をもらって、旅費、リサーチ費用、企画料、滞在制作(2か月)の為の制作費と生活費、外注費、仙台での家賃など自分たちでやりくりして、昨年の12月に実施しました。

――そういうのは、営業をして仕事を得るのですか?

車田:ありがたいことに、向こうから話が来きます。
土谷:営業をしたことがないまま17年です。
車田:私たちの作品を見た人がコンタクトをとってくれたり、人伝えで辿られてきたり。私たちは本当に運が良かったです。

――運が良いと言いますが、これまでにどんな風にやってきたんですか?

土谷:KOSUGE1-16を始めたころは、自分たちの家とか、友達の家とかでプロジェクトをしていまいした。そのころは、ギャラリーなどを借りて展覧会をやるなんてもってのほかで、詰まらないの極地だと思っていたので。場所代はタダなんで、浮いたお金の分、プレスリリースをいろんなところに送るんです。それが営業になっていました。
車田:で、プロジェクトを見て面白いと感じた人が展覧会に呼んでくれたりして、またそこから繋がって、という感じです。

article086_05.jpg作品の一部を見るだけでも、どんな美術家なのか謎が深まっていきます。

自分たちの創作には東京よりも地方だ

――KOSUGE1-16の活動の場は日本全国のようですが、となると東京を拠点にしたほうが便利ですよね。なぜ東京から遠く離れた四国の、佐川町の中でも田舎の場所で?

土谷:僕らの本来の気持ちとしては、「誰からも頼まれていないことをやりたい」というのがあるんです。天狗のお面のプロジェクトみたいに。
車田:でも東京で活動していくうちに、私たちのほうから「こういう場所で、こんなことをしたい」というのができなくなってきた。例えば「夏休みの子供対象のこういう展覧会をやってほしい」と内容や対象が決まっている仕事が多くなった。
土谷:そういうのも楽しんでやるんですけど、段々、僕らは美術家ではなくデザイナーやコーディネーターみたいだなあという気持ちになってきて。
車田:それで、イギリスに研修に行って、仕事にワンクッションを置いたんです。

――イギリスにはご家族で?

車田:文化庁の新進芸術家海外研修制度の助成金は一人分の旅費と研修費と生活費なのですが、最初の1年は私と子供たちと3人で。最後の1年は土谷も一緒でした。
土谷:で、彼女がもう東京に戻りたくないと。
車田:イギリスで借りていた家は広いし、裏には公園みたいな庭があるし、池があるし、リスは来るし、子供たちはそこで遊べるし。こんなに自然が身近な暮らしをしたら、東京には戻れないと思ったんです。で、田舎に住むしかないと。
土谷:検索したんだよね。
車田:「田舎暮らし、家付き、伝統工芸」で検索してたんですよ(笑)。そしたらたまたま「地域おこし協力隊」というのがでてきた。これは何ぞやと調べていたら、家は付くし月給ももらえるから、子供のいる身分にはありがたいと思って。で、美術家の私たちがやっていけそうな地域おこし協力隊を探して、佐川町にたどり着きました。
土谷:この町に、「さかわ発明ラボ」という、ものつくりの拠点ができることも、いいなと思った理由の一つです。
車田:東京から離れていても、本当に私たちと仕事をしたい人はスカイプなりなんなりでミィーティングできますし、こちらにわざわざ来てくれる人もいます。
土谷:佐川町ぐらい遠くにいれば、東京の時よりも「うちらじゃなければ」という仕事しか来ないんじゃないかと(笑)。

――――さて、ここ佐川での創作活動ですが、これからどんなことをしていきたいですか?

車田:今日お話ししてきたように、これまで「売る」作品をつくってこなかったので、そっちのほうも取り組まなければ思っています。過渡期ですね。旋盤など工作機械の使い方も学び始めました。
土谷:妻は細かいことが得意ですから。企画書を作ったりリサーチするのは僕の仕事。
車田:私はずーっと手を動かしているのが好きなので。

――――いま、何か困っていることはありますか?

車田:私は東北出身なので、汗腺の数がきっと少ないんですよ。だから高知の夏の暑さは堪えますね~。
土谷:僕は平気なんですが。
車田:あとは、アトリエがないことかな。いま探しています。
土谷:方々に声をかけているのですが。私たちの作品は大きいので、なかなか……

――――というわけで、佐川町に限らず仁淀川流域のみなさん、アトリエにしていいよという物件があればぜひご一報を。土谷さん車田さん、今日はありがとうございました。

article086_06.jpgこれは「売る」作品になるのかな?智志乃さんが試作中の作品。

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)
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