2017.05.26新連載・<川遊び人の独り言>1 "小さな宝石"に大きな夢を託して~アユの毛鉤釣り~

新連載・<川遊び人の独り言>1 "小さな宝石"に大きな夢を託して~アユの毛鉤釣り~

5月。アユ釣り師にとっては何とも心騒ぐ季節です。一足早く私の地元の物部川などでは解禁となり、来月には県下のほとんどの川が解禁を迎えます。アユ釣りといえば、友釣りを思い浮かべるでしょうが、昭和の終わりころまでは、毛鉤釣りこそが土佐のアユ釣りの主役だっだのです。

 私のささやかな書斎の片隅に、筆入れくらいの大きさの桐の箱が二つ並んでいます。その二つの箱はもう、
30年あまり持ち歩くこともなくなりましたが、いまだに手元に置いてときどき眺めています。
 留め金をはずして両開きに開けると、アユ釣りに使った毛鉤が当時のまま行儀よく並んでいます。一つ一つ眺めていると、毛鉤の名前はもちろん、その”小さな宝石”に大きな夢を託して重たい竹竿を上下していた当時の光景が鮮やかによみがえってくるのです。

article084_01.jpg昭和40年代の仁淀川鎌井田放水口付近でのアユ毛鉤釣りの光景
(「仁淀川−その自然と魚たち−」伊藤猛夫著より)

 私のアユ釣り初体験は、佐川町にいた小学校2、3年生の頃、祖父たちに連れられて行った越知町の鎌井田(かまいだ)放水口でした。夜明け前の暗い中、眠いのに起こされ、釣り場でも重たい竹竿を持たされ、あまり楽しい思い出は残っていません。でも、川岸の岩場や川舟に大勢の釣り人が並び、長いアユ竿を皆が黙々と上下し、ときおり竿がたわみ若アユが踊る光景が印象的でした。

article084_02.jpg昭和40年代の物部川戸板島橋下流でのアユ毛鉤釣りの光景(山崎房良氏撮影)

 この写真をご覧ください。アユより釣り人の方が多いのではと心配される方もおられるかもしれませんが、御心配無用。当時高知ではアユは”川の虫”と言われるくらい、獲っても獲ってもいくらでも湧いてくるようにいたのです。
 高知では、単に毛鉤釣りあるいは”ばかし釣り”とも言われたこの漁法は、ドブ釣りとも言われています。
“ドブ”とは汚泥のことではなく、水の流れが緩やかな淵やトロ場のことを意味します。毛鉤釣りができるのは、川の中でも水深があり、アユの餌となる水垢(付着藻類)が付きやすい玉石のある、流れが緩やかな場所に限られます。
 
 近年盛んになった友釣りは、瀬だけでなく、トロ場や淵も含めて、広い範囲が漁場となり、放流アユも含めて、そこそこアユがいれば成り立ちます。ところが、毛鉤釣りは、無尽蔵の天然遡上アユがいて、瀬や淵が川本来の姿を残し、澄み切った水が流れていないと成り立たないのです。
 近年毛鉤釣りが急速に衰退していったのも、全国的に友釣りがブームになったせいだけでなく、こうした背景もあるのです。

 私も、昭和56年に高知に帰ってきた後しばらくは、解禁当初は物部川で毛鉤釣りを楽しみました。しかし、わずか40年あまり前にこんな賑わいを見せた物部川下流部も、ダムや河川改修工事のため河床低下や平坦化が進み、毛鉤釣りのできるポイントも限られ、アユもめっきり少なくなって、寂しい限りです。

article084_03.jpg今年5月15日アユ解禁日の物部川県庁堀(旧国道橋上流)での毛鉤釣り光景
article084_04.jpg物部川下流部に残された数少ない毛鉤釣りの好漁場にベテラン釣り師が並んでいます
article084_05.jpg平成10年ころの物部川横瀬での毛鉤流し釣り。アユがたくさんいて、メリハリのある瀬があれば、当時5歳の娘にも簡単にアユが釣れた

 今までご紹介してきたドブ釣りとも言われる毛鉤釣り以外にも、実はもっと手軽にアユを毛鉤で釣る漁法があるのです。ドブ釣りは、高価な長いアユ竿を上下し、にせものの毛鉤を駆使して、文字通りアユを”ばかす”必要があり、それなりの経験と辛抱が必要です。
 でも毛鉤の流し釣りという漁法なら、4m前後の延べ竿に市販のアユ毛鉤流し釣りの道具をセットするだけで、アユさえたくさんいれば、初心者でも簡単にアユを釣ることができます。上の写真は娘がまだ5歳のころ、近くの物部川でハヤ(オイカワ)を釣らせてあげようと竿を持たせてあげたところ、間違って(?)アユが釣れたところです。
 流し釣りができるポイントは、ドブ釣りと違って、流れが速くて水深の浅い瀬となります。その瀬も底石が複雑に組み合わされ、流れや水深の変化のある瀬ほどアユがたくさん棲みつき、いいポイントになります。
 このように、変化に富んだ瀬あり淵ありの本来の川の姿を取り戻し、”川の虫”と言われるくらいの天然遡上アユをもう一度土佐の川に呼び戻しさえすれば、子供からお年寄りまで、身近な”おらんくの川”で土佐の伝統漁法であるアユ毛鉤釣りを楽しむことができるのです。

article084_06.jpg昭和30年代の鏡川沈下橋付近での毛鉤釣りの光景(「鏡川」寺田正写真集より)
私には夢がある・・・土佐の川にもう一度こんな光景を取り戻して、私の釣り人生を終えたい

 “釣りはフナに始まってフナに終わる”という釣りの世界では有名な格言(?)があります。私の場合も始まりはこの格言通り、春日川でのフナ釣りでした。でも終わりは、アユの毛鉤釣りで私の釣り人生を終えることができればと思っています。
 今、私も夢中になっているアユの友釣りは、瀬の中に立ち込み、それなりの足腰の強さや体力も必要です。でもそれが叶わなくなっても、毛鉤釣りなら何とか川のそばに佇んで、竿を上げ下げできる気力と体力が残っていれば、可能です。
 私がアユの毛鉤釣りに夢中になっていた中学生の頃、街中のすぐそばを流れる鏡川で、上の写真のような光景が見られました。学校を終えて、家に帰ると一目散に竹竿を肩にかけて自転車で釣り場に向かいました。大人たちの間にそっと割り込ませてもらい、その大人たちの釣り談義に耳を傾けながら、竿を上下したものです。

 私の釣り人生が終りを迎える頃、土佐の川にこんな光景を取り戻せたら・・・そして、私の横に目を輝かせながら竿を滑り込ませてきた、かっての私のような少年とこんな話が出来たら・・・
「どうだい、アユ釣りって楽しいだろう。多くの人たちが、生活の快適さや便利さだけ追い求めていた時代は、みんなが川の大切さやアユが自然に上ってくることの有り難さを忘れてしまって、川もダメになり、アユも少なくなっていたんだよ。でも、そのことの大切さや有り難さを私たちの大勢の仲間たちが気がついてくれ、多くの人たちを巻き込んで、川やアユの復活に真剣に取り組んでくれて、今ではこんなに川も蘇り、アユもたくさん上ってくるようになったんだよ。だから君たちもこの土佐の自然の恵みを大事にバトンタッチしてくれよ。おっととっと、またいいアユが釣れたよ。まだまだ君たちには負けないから・・・」

(仁淀ブルー通信編集部員 松浦秀俊)
●今回の編集後記はこちら 

松浦 秀俊(まつうら ひでとし)

 1956年高知県生まれ。「高知県友釣連盟」顧問、「仁淀川の緑と清流を再生する会」顧問、「仁淀川リバーキーパー」、「物部川21世紀の森と水の会」、「鏡川流域ネットワーク」等河川環境保全に関わるNPOに参画し、釣り人や漁業者、流域住民と一緒になって、河川環境の再生やアユ資源の復活、子供たちの川遊び復権を目指して、様々な活動に取り組む。
 小学校低学年は仁淀川支流春日川の、高学年は四万十川や支流の後川のほとりで過ごし、川遊びや釣りの楽しさを知る。中学・高校では、主に鏡川や仁淀川でアユ、アメゴ釣りに明け暮れ、趣味が高じて大学も水産学科に進むも、勉強には熱が入らず、もっぱら釣り竿片手に全国の川を釣り歩く。
 大学卒業後は、アユ釣りをするためにさっさと地元に帰り、水産技術職員として高知県に入庁して、内水面漁業センター、水産試験場、漁業指導所、漁業管理課等に勤務し、昨年3月に定年退職する。
 30年余り前から物部川ほとり香美市土佐山田町に住居を構え、退職後は妻の扶養家族(要するにカミさんのヒモですが、生物学的には片利共生と言って、最も高度に進化した生き方の一つです)となり、現在川漁師見習い中。
 
著書「川に親しむ」(岩波ジュニア新書)、「土佐のアユ」「土佐の川」(ともに共著、高知県内水面漁連発行)、「アユの科学と釣り−美しい川とアユを願って」(分担執筆、(株)学報社)他釣り雑誌等に雑文掲載

<仁淀川河口で、スイカメロンフェア開催!>

来る2017年5月27日(土)、28日(日)の二日間、仁淀川河口の土佐市新居地区で特産品の「スイカ・メロン」をテーマにしたイベントが開催されます。
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