2017.05.05仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 第1話

仁淀ブルーに誘われて~私の高知移住日記 第1話

旅するだけでなく、移り住んでしまおう……近頃の仁淀川流域では、そんな人たちがじわじわと増えています。旅行者と生活者の目線をあわせもつ彼らに、地域の魅力を語ってもらいましょう。

第1話 人々と、森の仕事に癒されて
宮川英二さん
広島県広島市→仁淀川町へ(2016年4月に移住)

林業について詳しく知らなくても、〈危険できつい仕事〉だということは容易に想像できるのでは? その世界に、全く未経験ながら飛び込んでいったのが、広島県から仁淀川町に移住した宮川英二さん(39歳)です。
「それはもう、すごく傾斜が急な現場も多い。木の幹をつかみながら登り降りするような。でも僕は、昔から体を動かすことが好きなんです。」
仁淀川町に移住するまでの職歴は、いわゆる〈現場〉の仕事。営業や事務分野の仕事に就く機会はあったものの、「スーツ姿の仕事は自分向きじゃない」と避けてきたのだとか。
「移住する前、町で暮らしていた頃はスポーツクラブに通ってベンチプレスなどをしていました。林業なら体力もつくし筋トレになるから一石二鳥です(笑)。」
しかし、英二さんの話を伺っていくにつれ、彼にとっての林業は、そして仁淀川町への移住はもっと大きな意味があることが分かってきました。
「僕を立ち直らせてくれたのが、この仁淀川町なんです。」

article081_01.jpg宮川家の皆さん。奥さんと娘さんはこの春から仁淀川町へ。

大自然の癒しを求めて

宮川英二さんは生まれも育ちも就職も広島県広島市。若いころはサーキットでのカーレース(F1への登竜門であるフォーミュラージュニア)をしていましたが、「これは〈趣味〉にしておいたほうがいい」と、きちんと就職。仁淀川町に移住する前は、大手自動車会社に正社員として勤務していました。結婚もし、二人の子供にも恵まれ、技術者として国家資格も有し、順調な生活でした。
しかし、会社での人間関係のトラブルに巻き込まれます。かなり理不尽な扱いを受け続けたストレスによって、英二さんはうつ病に。友人たちはみんな「なんでお前がうつになるのか」と驚いていたそうです。ときにはまっすぐ歩けないほど重症になり、会社勤めを続けながら入退院を繰り返していました。
「そんなとき、たまたまテレビの報道番組で高知県梼原(ゆすはら)町の特集をやっていて、ピンときた。それまでに、僕の担当医から、それは医院長なんですけど、大自然の治癒力を試してみるという方法もありますよと、すすめられていたんです。」
その報道番組は、移住者支援が手厚いという梼原町の政策にスポットをあてたものでした。
「実は医院長もうつで、雨の日には調子が悪くなるような人でした。うつの先輩です(笑)。で、僕のこともよく理解してくれていました。彼のアドバイスもあって、自然豊かな梼原町に行ってみようと。」
梼原町には移住計画者向けのお試し住宅があり、単身で乗り込んだ英二さんはこれを利用して1か月間滞在。ここを拠点に足摺岬や須崎の街など高知の自然や風土に触れたり、林業を1週間体験してみました。すると、彼に変化が。
「すごく調子がいいんですよ。うつの症状が出ると、家から出たくないとか、なにもしたくないというふうになるんです。でも梼原では、毎日なにかしたい、いろんなところに行ってみたいという気分になって。」

article081_02.jpg英二さんの今の楽しみの一つが、家のセルフリフォーム。この家の壁も自分で塗りました。

僕の仕事は林業しかない

これはいい、自然豊かな場所で、林業という自然相手の仕事をして暮らしていけば……と考えた英二さん。しかし、そのとき梼原では林業の仕事の口がなかった。そこで、梼原の森林組合に、高知県の林業学校(2015年4月開校、研修期間1年)に入ってみてはと提案されたそうです。
「林業学校に寮はあるのかなど、いろいろ親身になって調べてくれました。学校でいろいろ学べるし、いろんな業者から求人がかかるだろうし、いいんじゃないかと」
でも、学校で1年間勉強して、就職となると、妻と子をこちらに連れてくるまで2年はかかる。1年間で技術を習得して、2年目には家族と共に暮らしたいと英二さんは願っていたので、林業学校については保留。そして相談に行ったのが、高知県庁の移住交流コンシェルジュでした。
「林業で仕事ができる地域はないですかと相談したところ、佐川町と仁淀川町を紹介されたんです。」
佐川町は自伐林業を目指す人を募集していたので、これは無理だろうなと英二さんは思い、次に仁淀川町を訪れます。
「仁淀川町ではいろいろ案内してもらって、林業の研修一期生を募集しているからどうかといわれたんです。仁淀川町の各林業事業体に振り分けられて、たたき上げで研修するので、林業学校よりもたくさんの時間を現場で学べるのではと。毎月給料も支給されるし、現在住んでいるこの家も紹介してもらえた」
これまでを振り返ると、本当にタイミングがよかったと英二さん。
「梼原ではあきらめかけましたから。僕の場合、自然の治癒効果のことがあるので、田舎への移住だけではだめ。林業が必要だった。仕事は林業をするしかなかったんです。」
そして英二さんは仁淀川町での1年の研修を終え、家族も呼び、この4月から同じ町内の林業の会社に入りました。

article081_03.jpg宮川さんが暮らす仁淀川町森。森は鷹森(高森)の地名に由来。
article081_04.jpg宮川さんの家はアユ踊る清流の隣り。釣り好きにはたまらない立地です。

林業の仕事とは

英二さんが勤める会社の仕事の主な内容は、杉・檜の間伐や集材、運搬。間伐チームの同僚は26歳から60代までの8名です。ハーベスターなど大型林業機械なども充実しています。
「僕は39歳なんですけど、僕より若い子が多い職場です。とても和気あいあいとしています。高知県出身で山間地域が地元の人ばかりです。」
林業といえば危険と隣り合わせ。まだ経験の浅い英二さんはどのように対処しているのでしょう。
「危ないと思ったら作業を中断して、慣れている先輩にどうしたらいいですかと聞いています。そして聞いても理解できなかったら、ちょっとやって見せてもらえますかとお願いしています。うまくいかない場合は先輩に判断してもらう。じゃないと、自分が怪我するだけでなく、周りにも迷惑をかける。」
そんな英二さんをきちんと指導し、質問にも丁寧に対応してくれる仲間たちのようです。
「移住前の職場と違い、今では人的ストレスはまったくないですし、活気にあふれた会社です。いい意味で『こいつらに負けてたまるか』という気分になって、自分が若返るようです。安心して働けるし、自分の仕事のレベルも上げていける。」

article081_05.jpg宮川さんの仕事道具、カーレースをしていたり、自動車メーカー勤務の経験もあるくらいなので、機械の手入れや扱いは得意。

地域の人々も癒してくれた

宮川さん家族が暮らしているのは仁淀川町の森地区です。
「僕を立ち直らせてくれたのがこの町。みんなが、『いらっしゃい、いらっしゃい』という感じで受け入れてくれた。昨年、単身赴任期間中のことですが、娘が二人いるんですよと近所の人に伝えると、『早く家族を連れてこれたらいいね』と楽しみにしてくれて。」
宮川家は、奥さんのさくらさん(38歳)、華瑠(はる)ちゃん(6歳)、凛ちゃん(4歳)の4人家族です。広島県で暮らしていた頃の保育園は300人が通っていましたが、ここ森地区では、華瑠ちゃんの同級生(1年生)が5人。環境が大きく変わって寂しがってないですかと聞くと、「いえ全然。」とさくらさん。
「華瑠は毎日楽しそうです。上級生のお兄ちゃんやお姉ちゃんよく面倒を見てくれて助かります。朝は5、6人が迎えに来てくれます。学校が終わっても、よく遊びに来てくれるんですよ。広島にいたときはこんなことなかったです。」
家の目の前は川、それも飛び切りの清流です。ここで昨年、英二さんの記憶に残ることが。
「我が家がある地区(下町)には夏に川祭りみたいなのがあります。祭りの日は既に決まっていたのですが、うちの子供たちが広島から遊びに来ることを知った地区の会長さんが、『その日にしてやるよ』と日程をずらしてくれたんですよ。」

article081_06.jpg華瑠ちゃんも凛ちゃんも川遊びが大好き。夏が待ち遠しいですね。

高知といえば酒豪県ですが、英二さんがお酒好きということも、地域に溶け込むのに有利だったようです。
「この町には『ゆみ』という居酒屋がありまして、そこでいろんな人と知り合いになりました。お酒を通じて、初めて会った人でもすぐ仲良くなれるのに驚きました。たまに、飲んだ次の日に挨拶すると、『あんた誰だっけね』となることもありますが(笑)。」
家族が来てからは、飲み歩くのは少し控えるようになったと英二さん。少しさびしそうに見えたのは、私の気のせいでしょうか(笑)。

article081_07.jpg左の川辺の建物が居酒屋ゆみ。素晴らしいロケーションです。

今度は僕からみんなに

これから、この仁淀川町でどんなことができそうかを英二さんに聞いてみました。
「まず、家を自分でこつこつとリフォームしていくのが楽しみですね。仕事の面では、林業用の重機も扱えるようになるなど、すべてをこなせる林業のエキスパートになりたいし、ならないといけないと思っています。ここの人たちがこれまで僕にしてきてくれたことを、逆に僕が人にしていきたい。」と英二さん。
その想いは林業に関してだけでなく、さらに広がっているようです。自然と林業と地域の人々のおかげでうつ病をのりこえてきた。では、かつての自分のようにうつに苦しむ人に、何ができるだろう?
「僕でもこうやって復活できたというのをアピールしていきたい。くすぶっているうつの人がいて、自然の中で体を使う林業に興味があるようだったら、いろいろ案内したいし、お世話できるようになれたらなと思っているんです。」

☆編集後記では、宮川さんが暮らしている仁淀川町森を紹介しています。

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)
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