2016.08.29仁淀ブルーを旅する・3 「川の民と旅をする」

仁淀ブルーを旅する・3 「川の民と旅をする」

かつて日本各地の川には、川漁師や筏師、船頭など〈川の民〉がたくさんいました。その多くは失われてしまいましたが、新たな川の民も生まれています。それがリバーガイド。川下りの案内人である彼らとの思い出をたどりながら、仁淀川の川旅を始めました。

越知町の小浜キャンプ場から、カヌーを流れに浮かべました。ここから太平洋までの約50㎞が、仁淀川での川下りのフィールド。理由は、この区間に大きなダムや堰がなく、川が一つながりになっているからです。いの町の市街地の下流には八田堰がありますが、カヌーやカヤックを担げば容易に越えられるし、川の生き物たちも自由に往来できる小さな堰なので問題ありません。こんなふうに海まで自由に流れる川は日本では絶滅寸前で、例えば西日本では、海まで50㎞以上流れを遮るものがなくて、なおかつ水質良好な一級河川は四万十川ぐらいなのです。

article_04602.jpg本村から鎌井田までは流域の自然が濃く、視界に入る人工物も少ない。

小浜キャンプ場から少し下っていくと、川の流れは越知町の市街地にタッチするように蛇行していきます。中仁淀沈下橋をくぐり、かつての渡船場で上陸し、商店街で食料を仕入れるのが私のいつもの川下りスタイル。岸を離れると、まもなく仁淀川下流域では最も人の気配の少ない区間に入ります。本村キャンプ場を過ぎると峡谷のように山が迫り、川面から見えるものは森の緑ばかり。野生を強く感じる流域です。そして、私はここを下るときはいつも、自然の申し子のような川の仲間のことを思い出すのです。

article_04603.jpgダイスケとサトシ。

ダイスケとサトシと一緒にカナディアンカヌーで小浜~黒瀬キャンプ場を下ったのは12年前の春。青すぎる空の日で、〈5㎞先まで声が届きそうなくらい空気にまじりけがなかった〉と日記には書いてあります。当時彼らは、仁淀川から山を越えた向こうにある吉野川の峡谷「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」でリバーガイドをしていました。ラフトボートやカヤック・カヌーでの川下りツアーをする仕事です。つまり川が職場なわけですが、休日になっても彼らは行先を川にしました。清流の誘惑にはあらがえない、そんな人間もいるのだなあと、私は妙に感心したものです。

article_04604.jpg小浜キャンプ場の河原でワクワクするカヌー犬。

リバーガイド、つまり川下りのプロが四国の川に現れたのは、かれこれ四半世紀前。吉野川の大歩危小歩危の激流に魅せられた日本各地の若者(つまりよそ者)が、そこでラフティングのツアーをはじめます。それが評判になり、川を愛する人間たちがさらに集い、移住してしまう若者も続出。今のように田舎暮らしがブームになるずっと以前のことで、移住希望者向けの行政支援やNPOがない時代です。リバーガイドたちは無手勝流で移住して峡谷での暮らしを始め、過疎化が止まらなかった大歩危小歩危にラフティングという新たな観光産業をもたらしました。そしていくつかの集落では久しぶりに子供の元気な声が響くことに。この現象は、〈清流など優れた自然があれば、それを望む人が移住してくる〉という、格好の事例になっています。

article_04605.jpgこのリバーガイドは、雑木の密林に覆われていた古民家(築・江戸時代)を、仲間の助けも借りながら自分の力で見事にリノベーション。

しかも、集まって来たリバーガイドたちの個性が際立っていて、それが限界集落だらけの山里に新しい風をもたらしていました。例えば―

・アマゾンの熱帯雨林で樹上生活していた
・野外でも、ほぼ裸足で生活
・イタリアで漆喰職人→リバーガイド→オリジナル人形を造形するアーティスト(欧米で人気沸騰!)
・大道芸人
・ヒグマやオオカミが暮らすカナダの原野で育った
・スケボーに乗って四国八十八か所遍路を結願した

リバーガイドの誰もが、刺激的で、人生も世間もまんざらじゃないと思えるストーリーを持っていますが、破天荒な野生児というわけでもありません。英語など外国語が堪能だったり、かなりの読書家だったり、古民家を自分でリフォームする器用さを持っていたりと、豊かに生きる能力に恵まれた人がじつに多い。それは私にとって嬉しい驚きでした。

article_04606.jpg見るからに野人ですね……二人ともけっこうインテリなのですが。

ダイスケとサトシの経歴もなかなかのものです。ダイスケは熱気球のパイロットでもあり、リバーガイドになる以前は真冬の北海道や北欧で氷のホテルを建てていました。トナカイを放牧するサーメ人とスウェーデンの雪原で野宿したこともあるらしい。山も愛するサトシは、インド北部のヒマラヤを旅したとき、ダライ・ラマ14世(チベット仏教の一番偉い人)に謁見したこともあるとか。彼らの冒険談を聞きながら、ときに炭酸飲料でのどを潤しながら(いわゆる麦ジュースですな)私たちは仁淀川を下っていきました。

article_04607.jpg吉野川の激流に魅せられた彼らですが、穏やかな仁淀川もかなり気に入ったみたい。

小浜キャンプ場から黒瀬キャンプ場の間にある大きな瀬は2か所。でも、小さな滝が連続する激流を下るのが日常の2人なので、軽い一漕ぎ二漕ぎで岩をするりとよけ、波のリズムに乗っていきます。

article_04608.jpg鎌井田集落の少し上流の瀬。初心者のカヤックだと転覆しそうだ。

そのクールでスムーズなパドルさばきを見ていると、リバーガイドに最も必要な資質がよくわかります。もちろん、1日中漕ぐ体力があり、船の扱いが巧みということは必須です。でも一番肝心なのは、自然にはかなわないという謙虚さなのでしょう。彼らは川の流れをねじ伏せるのではなく、うまく利用する能力にたけている。複雑で不思議な水流を、たぶんアユやマスのように感じとって反応できる彼らは、素人目にはとんでもない急流でも自在にカヤックやカヌーを操ります。波の高い激流を対岸までスルリと横断したり、大きな白波をつかって宙を舞うなんてあたりまえ。カヤックを鋭く回転させて水しぶきを上げ、空に虹を描くことだってできるのです。

article_04609.jpg大歩危小歩危のリバーガイドたちは、まさに川の生き物。下半身にカヤックを履けば、激流でも自由になれる。

浅尾沈下橋が見えてきました。麦の炭酸飲料がなくなったのでここで上陸。坂道を登って鎌井田の集落へ。手分けして雑貨屋を探していると、道路のずっと先、声が届きそうにないところにサトシの姿が見えました。腕を動かしてサインを出しています。急流を下るときに使われるやつです。荒瀬の轟音のなかでも意思疎通ができるように。「ここに集合、だ」ダイスケが顔をニヤッとさせました。集落の静寂をそのままに、私たちは麦ジュースを手に入れ、再び川面の人に。

article_04610.jpgずっとカヌーを漕いでいたくなる1日でした。

その日、空気は透明で、太陽の光はずっと百パーセントのままでした。それが黄金色へと変っていくころ、黒瀬キャンプ場でカヌーを岸に引き上げました。出発してから15㎞、自動車を走らせれば20分ぐらいの距離で、ほぼ1日楽しんだわけです。夜になっても空気は透明なままでした。半分になった月がとても眩しい。「月の影の部分の輪郭が見えるね」とサトシが言い、この川旅を、なんだかカッコよく締めくくってくれたのでした。

あれから月日は流れ、仁淀川でもリバーガイドの存在が普通になってきました。もし仁淀川の川下りツアーに参加することがあれば、ガイドにいろいろ話しかけてみては? 個性的で面白い人生に出会うかもしれませんよ。

●仁淀川のリバーガイドの案内で川を下るなら……こちらへ!
http://niyodogawa-kanko.net/cat_asobu/shizen2/

(仁淀ブルー通信編集部員 大村嘉正)
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