2016.08.26近ごろよく聞く「流域連携」って、そもそもナニ?

近ごろよく聞く「流域連携」って、そもそもナニ?

「流域連携」という言葉をよく耳にします。川の上流域の人たちと中下流域、さらにはその川が流入する海辺の人たちが「一緒に何かをやろう!」というときに使う言葉です。仁淀川流域の6つの市町村が一緒になってご当地情報を発信しているこの『仁淀ブルー通信』も、流域連携の一例といえましょう。

しかしながら、昔はこのような言葉はありませんでした。
川の上流と下流(海)は分かつことのできない運命共同体、いってみればファミリーのような存在だったからです。
象徴的な例が、紀伊半島の熊野川上流にある北山村です。周囲の自治体が奈良県か三重県に属しているのに対し、北山村だけが和歌山県。北山村は日本で唯一の「飛び地」自治体として知られています。
なぜ飛び地なのか。以前、取材に訪れた際に聞いたことがあります。
北山村は、昔は山から伐り出した木を筏に組み、下流の新宮まで運ぶことが村の主要産業だったそうです。新宮は材木に次ぐ森林資源だった薪や炭の重要な売り先であり、生活に必要なあらゆる物資の調達先でもありました。
廃藩置県で所属を決める際、北山の人たちは新宮と同じ和歌山県になることを強く望みました。認められて飛び地になったということです。

このことが示すように、流域はどの川においてもひとつの経済圏・文化圏でした。
私が住む関東地方でも、鉄道が開通する明治までは船運が物流の動脈でした。利根川沿いにはたくさんの河岸があり、下流で最も大きな物資の集散地だった佐原(現・千葉県香取市)は「江戸まさり」と呼ばれるほどの経済力を持っていました。
いま改めて流域連携という言葉を使わなければならないのは、上流と下流の結びつきが希薄化し、解決しなければならない新たな課題が圏内に生じていることを意味します。

article_04502.jpgかつては川ごとに特徴的な川舟がたくさんあった。(紀伊半島・熊野川のもの)

流域の関係性を分断した原因はふたつあります。ひとつはダムです。川の流れが遮断されたことで舟や筏の行き来が物理的に困難になりました。代わって道路が整備され、物流はトラックが担うようになりました。流れの癖を読んで材木を速やかに流すような技術は必要がなくなった結果、伝統的な仕事の多くが消えました。
もうひとつの原因は産業構造の変化です。エネルギー革命や木材の輸入自由化で森林資源の価値が下がり、林業は手間のかかる割に儲からない仕事になってしまいました。仁淀川の場合は、上流が和紙原料のコウゾやミツマタを栽培し、下流が付加価値の高い紙に漉くという連携軸が特徴的ですが、この結びつきはかつてほどではありません。和紙そのものの需要が減っているためです。和紙の抄紙(しょうし)技術を生かした化学紙のような転換の成功例もありますが、天然素材を使わなくなったことで、上流と下流の関係性は昔ほどなくなりました。

article_04503.jpg川はかつて塩の道でもあったという。『塩の道』(宮本常一著・講談社学術文庫)。

民俗学者・宮本常一の『塩の道』という本に、流域のつながりについて書いた興味深い話があります。昔の人たちがどのように塩を入手してきたかというものです。
海辺で塩を作る人にとって欠かすことができないのは、海水を煮詰めるための薪。山の人たちは、その薪を川に流して下流に提供することで、焼き上がった塩を受け取っていたそうです。つまり、上流と下流の連携の本質は、川の流れを利用した相互補完です。
ある浜では、ある時期から焼いた塩を山あいの村へ売り歩く行商が地場産業化しました。ところが、やがて瀬戸内の大規模塩田で作られた安い塩が入り始めます。上流の人たちは、川でつながる海辺の人から塩を買わなくなりました。困った海辺の人たちが塩に代わって商うようになったのが、毒消し(薬)だったそうです。
今の上流と下流の関係性は、この塩の話によく似ています。

流域連携を行なっているエリアは全国にたくさんありますが、掲げるテーマの多くは環境や地域経済などネガティブな問題です。つまり一緒に「共通の敵をやっつけよう」というもの。これはこれで重要な視点ですが、本来の流域連携とは、インフラ(生活基盤)としての川の流れをどう上手に使うかということではないかと思います。
そのためにも、まずは川がどのように使われてきたかということを検証する必要があります。たとえば川舟。用途や地域によって微妙な違いがあります。仁淀川には漁に使う舟だけでも数種類の型があったはずで、それを造る船大工は、どの流域でも川の生き字引のような存在でした。

article_04504.jpg流域経済を縁の下で支えてきた船大工(三重県紀宝町で)。

ダムで川が寸断されて半世紀。私たちは水運のことも川舟のことも、それらが運んだ文物のことも忘れ去ってしまいました。川を概念でしかとらえられなくなっています。
流域連携の基本は、川をリアルな存在として意識し直し、どう経済に結び付けるかです。清流を守るのは、ある意味では流域として当たり前のこと。いまいちばん大事な視点は、清流という資産性を踏まえたうえでの新たなツール化だと思います。

(仁淀川資源研究所所長 かくまつとむ)
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