2016.05.06仁淀川の"心地よさ"の本質をさぐる

仁淀川の"心地よさ"の本質をさぐる

『仁淀川資源調査研究所』から(1)

『仁淀川資源調査研究所』とは、またえらく大きく出たものだな。そもそもおまん! 何者ぜよ!という声が聞こえてきそうです。

 はい、すみません。私はよそ者です。ですが、高知県外者の中では指折りの仁淀川通であることを自負しています。かれこれ20年、いろいろと口実を作っては高知出張の機会を作り、仁淀川で遊んできました。
 私はアウトドア雑誌を中心に、長く川遊びや地域活性化の取材をしてきました。全国各地のさまざまな流域を歩き、その旅は今も続いていますが、いちばん好きな川を挙げろと言われたら、迷わず仁淀川を指名します。

 ですが、流域を歩いていていつも感じるのは価値観の差です。魅力的なものにあふれているのに、それについて地元の人たちがさほどのこととも感じていないことです(仁淀川に限ったことではないのですが)。考えてみれば無理もないことです。流域の人たちはしっかりそこに根を張って暮らしを送っています。わざわざよその川を見に行って、自分の川と比べる必要がありません。褒められてもあまりピンと来ないのは、川の世間相場というものをよく知らないからだという結論にたどりつきました。そこで「よそ者目線」というモノサシを使い、仁淀川の魅力をわかりやすく指標化してみようというのが、本研究所の趣旨です。

「川の心地よさ」のような抽象的な要素は、もともと価値換算をしにくいものです。でも、心地よく感じる以上、それには原子のような実体を構成する物質があるはずです。よそ者代表者である私が、仁淀川を訪れたときに感じた温かさや名状しがたい心地よさを「資源」と位置づけ、その本質を分析し、相場化を試みようと思います。よろしくお付き合いください。

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 私がいちばん好きな仁淀川の光景は、テナガエビを捕る子供たちの姿です。釣具店にいくと、テナガエビ専用の小さな網「エビ玉」や箱眼鏡が売られています。高知県の人にとっては、ごく当たり前の光景らしいのですが、こういう川、じつは今の日本にはほとんど残っていません。
テナガエビは、東京と神奈川の間を流れる多摩川下流部のような都市河川にもいます。近年は都市の川もきれいになっていますが、気持ちよく潜れるほどの水質ではありません。
ダムに寸断された川は、水の流れこそ透明ですが、テナガエビのように海と川とを行き来する生き物は棲めません。
環境面でも文化面でも、川らしさがよく残っている数少ない川。それが仁淀川だと思います。
高知県出身の物理学者、寺田虎彦は『田園雑感』という随筆の中でこんなことを描いています。
<六つになる親類の子どもが去年の暮から東京へ来ている。これに東京と国とどっちがいいかと聞いてみたら、お国のほうがいいと言った。どうしてかというと「お国の川にはえびがいるから」と答えた。>

 寺田は、この子が言うエビとは必ずしも動物学上のエビを示すものではなく、清冽な川の流れや緑の影をひたす森、河畔に咲き乱れる草花を含めた、故郷の象徴であると語っています。自分自身も、エビのことを考えると高知が恋しくなり、都市郊外の微かな自然の中にもエビの幻影、すなわち懐かしさを感じる瞬間があるそうです。昔ながらの景色が保たれているということは、じつは途方もなくぜいたくなことなのです。

(仁淀川資源研究所所長 かくまつとむ)
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